side_神田綾乃
気づいた時には隠れていた。
学校が終わり、塾が休みだった今日は真っすぐ家に帰って勉強をするつもりだった。たまたま通りかかった駅前の一角、待ち合わせ場所としてよく使われる時計台の下に見知った人影を見つけ、足を止めた。
茶色いコートに身を包んで本を読んでいる1人の少年。それは学校の先輩でもあり、神田の想い人でもある城戸丈だった。あんなところで何をしているのだろう。誰かを待っているのだろうか、と考えるよりも先に足が動いた。後ろから先輩をおどかしてやろう。驚いた丈の顔を想像しながらわざわざ時計台の後ろに回った時だった。
「丈!」
「あ、ヤマト!」
丈の名前を呼ぶ男の声に、神田は踏み出した一歩を慌ててひっこめた。時計台の影からこっそり覗き込むと、金髪の少年が丈と親しそうに話していた。
ヤマト。それは丈の口から何度も聞いたことのある名前だった。
昔から仲のいい友達と聞いていたが、丈の口から出てきた回数は多く仲が良すぎると思っていたが、まさか一緒に帰るほどの仲だとは思っていなかった。神田の警戒心はヤマトへと向けられ、会話を盗み聞ぎしようと息を止めた。行き交う人の会話や足音ではっきりとは聞こえなかったが、あんなにも楽しそうに話す丈の顔を見たのは初めてだった。少しだけ握りしめた手に痛みを感じたのは、きっと手が悴んでいたからだろう。
「映画?」
丈の手に握られた二枚のチケットをヤマトは覗き込んだ。丈の兄さんが貰ってきたものらしいが、期限が来週までで処理に困っているらしい。恋愛映画を2人で見に行くなんてそんなカップルみたいなことをするのだろうか、と焦りを感じたが、丈の口ぶりからして行く可能性は低そうに見えた。そのはずだった。
「今から、見に行かねぇ?」
神田は耳を疑った。思わず時計台の時間を見ると、午後7時を過ぎたところだった。今から見に行こうと思えば行けるだろうが、終わったころには22時頃だろうか。いくら仲が良すぎる友達とはいえ、そんな遅い時間まで丈が付き合ってくれるとは思えない。丈には大事な学校のテストや模試があるのだ。今すぐにでも家に帰らないといけないはずだ。遠い昔に、神田が丈にそう断られたように。
「ちょっと待ってて」
そう言って携帯を取り出す丈に今度は目を疑った。まさか、今から本当に行くつもりなのだろうか。丈が神田の方を向いたように見えて咄嗟に裏側へ隠れる。荒くなる息を殺して様子を伺うが、丈の電話の声は神田には聞こえず、何を話してるのか全く分からなかった。電話の時間が妙に長く感じて、苦しかった。
「・・・どうだったか?」
「うん、いいよ。今から行こうか」
「えっ」
ヤマトの重なるように思わず出た声に、慌てて口を押えた。
勉強に熱心なはずの丈が、この時期に、今から2人で映画?
あの時はダメだと言ったのに。
混乱して思考が追い付かない神田を他所に2人は映画館へ向かっていた。神田が気づいた時には親しそうに話す2人の後ろ姿が人混みの中へ消えていくところだった。
街の騒音が頭の中で響いてうるさかった。消えた後ろ姿と遠い昔の話を思い出しながら、様々な感情と疑問が頭の中をかき混ぜる。
仲が良すぎる、と言っていたが、もしかするとそれ以上の感情を抱いているのかもしれない。
それは丈からヤマトの話を聞く度に思っていた戯言。杞憂であってほしかったのに、現実味を帯びては頭の血の気が引いていくのがわかった。
先輩はこの時間から勉強をほったらかしてまで映画に行くのは、それだけヤマトという男と一緒に過ごしたかっただろうか。
「行きたかったな・・・先輩と映画」
呟いた言葉が酷く悲しく、胸を締め付けた。まだ終わったわけでもない恋なのに拭えない不安とぐちゃぐちゃした黒い感情が渦巻く。そんな弱々しい自分に腹が立って、唇を噛んだ。
スゥ、と吸い込んだ息は酷く冷たく、神田の目を覚ますには十分だった。たかが仲の良い友人1人の存在で揺らぐほど、丈に対する気持ちは脆いものではない。
私だって、好きなのだ。
丈達が消えていった方向とは逆の方向へ踏み出していく中、神田は今までできなかった覚悟を決めた。
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