side_城戸丈
『だからいねぇって!』
そんな声と比例しない真っ赤な顔と泳ぐ青い目を思いだす。少しからかいすぎただろうか。でも、あんなにもわかりやすく動揺されてしまったら、気になってしまうものだ。
(ヤマト、好きな人いるんだ)
そう分かった時に感じたのは喜びでも好奇心でもなく、チクリと刺さったような痛みと悲しさだった。なんでそんなことを思うのか、自分でもよくわからなかった。
ヤマトだってもう高校生だ。好きな人の1人や2人なんていてもおかしくない。むしろ今まで恋をしてこなかった丈がおかしいのだ。友人や知り合いで恋をしたり、実ったり、実らなかったりした話ぐらいいくらでも聞いたことがある。経験もないのに相談されたこともあった。
だというのにヤマトに好きな人がいると聞いたときは祝福の気持ちは少しも浮かばず、むしろ少し黒い感情が沸き上がっていた。
ヤマトに好きな人ができることが悲しいのか。それとも、それを隠そうとしたヤマトの態度が悲しいのか。
ヤマトと丈はあの夏の日のおかげで知り合えた関係だった。あの夏の日の冒険がなければ、ヤマトとは一生絡むことなんてなかっただろうし、キャンプが普通に行われていても特に何も思わないまま終わっていただろう。
2人は仲間であり、友達だ。今では一緒に帰るほどの仲で、それを兄さんに言ったときに「よっぽど仲がいいんだな」と言われたことがある。そうだ。2人は仲のいい友人なのだ。
それ以上もそれ以下もない。
異性であれば、友達から恋人、そして夫婦へと昇格していけるというのに、同性は友達以上は親友、それ以上の関係は存在しない。友達と恋人なんて並べれば差は一目瞭然で、夫婦なんて月とスッポンのように思える。
いつのまに着いた家の前で一呼吸置くと、家の中へ入る。11時にもなろうとしていたのにリビングからテレビの音が聞こえた。「ただいま」と入るとシンが転がってテレビを見ていた。
「お。おかえり」
コートを脱いでハンガーにかけると「飯は?」と聞かれた。映画館でポップコーンを食べたぐらいで特に何も食べておらず、中途半端にお腹がすいていた。
「ちょっと空いた」
「冷蔵庫の中に今日の俺の晩飯入ってるから。それでも食っとけ」
言われるがまま冷蔵庫を開けると「シン」と書かれた付箋が貼られたラップに包まれた皿を取り出す。レンジに入れて温めている間に荷物を自室に戻して戻ってくると、シンがお茶碗にご飯を盛っていた。
「そんなに食べれないよ?」
「俺の分」
「あー・・・」
チン、と音が鳴ったので袖を伸ばしてから皿を慎重に取り出す。少し熱いラップをつまんで開くとモワッと湯気があがり、衣がしなったとんかつが出てきた。
その横でお茶漬けの素を振りかけ、沸いたお湯をかけているシンが「どうだった?」と問いかける。
「何が?」
「映画。彼女といったんだろ?」
かぶりついたとんかつが、喉につまりそうになった。慌ててお茶を飲み干す丈に「動揺しすぎ」と呟き、シンは呑気にお茶漬けに息を吹きかける。
「彼女じゃないよ!というかいないし!」
「じゃあなんだ?恋人候補?」
「それも違う!そもそも女の子と行ってないから!」
「なんだよ。つまんねーの」
顔を真っ赤にして反論する丈と温度差を感じるほど落ち着いた様子でお茶漬けを食べるシンにため息をついた。
「今日はヤマトと行ったの」
「あぁ。あの金髪少年か。仲いいなぁ」
仲がいい。その言葉にチクリと痛みを感じる。
「恋愛映画に男2人って、よくついていったな」
「ヤマトなら別にいいかなって」
やはり変だっただろうか。内容云々より放課後に友達と過ごせたという貴重な体験の方に気持ちが寄っていたため、あまり気にしていなかった。
「まぁ、お前らそういうのあんま気にしなさそうだし。別にいいんじゃないか」
「あー、うま、」とお茶漬けのだしを飲んで白い息を吐くシンを横目に、とんかつを口に運ぶ。
仲がいい友達。だからこんなにも色々と考えてしまうのか。ただの友達だったら、もう少し素直に好きな人ができたことを祝福ができたのだろうか。
「兄さんはさ」
「ん?」
「友達に恋人が出来たりとか、ある?」
この話の流れからだと察しがつくかもしれない。それでも聞いておきたかった。自分の中に渦巻くこの感情を明確にして、整理しておきたかった。
「あるぞ。そりゃもう沢山。この年になったら結婚しただの、子供ができましただの、死ぬほど聞く」
「それ聞いてさ、よかったとか、おめでとうって思うよね。普通」
少し怪訝な顔を浮かべられるが、気にせずにとんかつを食べ続ける。少し油っぽくてべたべたする。
「まぁ、普通はな。でも、1人だけ例外がいる」
「えっ」
コトリ、と食べ終わった茶碗とスプーンを置いて、少しだけ目を伏せた。丈も自然と食べるのをやめてシンの口が開くのを待った。
「昔な、すごい仲が良かった女の子がいたんだ。そいつは他の女の子とは違って、男勝りでサバサバしたやつだった。俺が話してきた女の子の中で一番話しやすくて、気が合う奴だった。今みたいにショッピングだとか映画だとかはいけなかったけど、帰り道にしゃべりながら一緒に帰ったり公園で遊んだりして。すげぇ楽しかった。ずっとこの関係が、大人になっても続くって思ってた」
いつも昔話を話すときの顔とは違った笑みがこぼれるシンの顔を見ては、シンにとってその女の子がどれだけ大事な人だったのかが伝わってくる。
その笑みが、少しだけ曇った。伏せられた目が静かに閉じる。
「しばらく経って、そいつに彼氏ができたんだ。・・・一番に紹介してくれてさ。嬉しそうに俺が見たこともない男の隣で笑う彼女を見てさ、その時に初めて気づいたんだ。俺は、彼女のことが好きだったんだって」
思わず息を飲んだ。自然と顔が強張った丈を見て、シンはいつもの穏やかな笑顔で丈を見る。
「とはいえ、もう随分昔の話だ。今もそいつと付き合って子供ができてるのかもしれないし、もしかするともう違う奴と付き合ってるのかもしれない。でも今は普通に祝ってやれる気がするよ」
シンは「連絡先しらねぇけど」と言い残して立ち上がると、使った茶碗とスプーンをシンクに入れる。丈は自然と止まってしまった箸をゆっくりと進め始めた。
食器を洗う水の音と遠くでテレビの音だけが響く。残りのとんかつを食べ終えるまで、2人の間に会話はなかった。
全て食べ終えてシンクに置いた時にちょうど洗い終えたシンが、少し濡れた手で丈の頭を軽くなでた。
「後悔だけはすんなよ。俺みたいに」
「じゃ、俺はもう寝るから」とシンはそのままリビングを欠伸をしながら出て行ってしまった。遠くで聞こえるニュースキャスターの淡々とした声だけが部屋の中に聞こえた。
後悔だけはするな。シンに言われた言葉がやけに重たく感じた。
丈とヤマトは友達だ。それ以上もそれ以下もない。
それは2人の関係を確認するための言葉のように見えて、2人のこれ以上の関係を踏み込まないための呪文のようにも思えた。
丈はヤマトと、それ以上の関係を望むというのだろうか。だからこんなにも募るものが大きいのか。
ヤマトのことは好きだ。ずっとこうして仲良くしたいと思う。
だからといって、恋人のように手をつないで、抱き合って、キスをしたいかと聞かれるとそれはまた違う。いつものように一緒に帰って、たまに2人で遊びに行くぐらいが一番楽しい。
でも、ヤマトの隣に誰かがいることを、知らない女性とそういう行為をすることを想像すると黒く汚い感情が浮き上がってしまう。それは知らない女性に取られてしまった「友達」としての喪失感なのだろうか。
シンに聞いて答えを知ろうとしたが、結局分からなくなってしまった。皿を洗う水の冷たさが、丈の手先の温度を奪っていく。
友達以上になりたいと思うのは、難しい事なのだろうか。同性同士は友達以上の関係を築けないまま、隣を奪われるしかないのだろうか。
(ヤマトは僕の事、どう思ってるのかな)
その答えが知りたいけど、知りたくもなかった。
何も知らず、分からないふりをして今のままが2人にとってちょうどいいのかもしれない。
そうであってほしいと願いながら、丈は蛇口から流れる水を止めた。