ワンドロ「友達以上」

『今から帰ります』
家で大学の課題をしていたヤマトのスマホに一件のメッセージが届いた。簡潔なメッセージにヤマトは「OK」のと書かれた狼のスタンプを返すと、立ち上がって台所に向かった。
壁に掛けられた時計を見ると時刻は午後八時。メッセージの主である丈がクタクタな顔で帰ってくるのは三十分後だろう。
冷蔵庫を開けて、作り置きしていたかぼちゃの煮付けと小松菜の和え物を取り出す。大学から帰ってきてから下味をつけておいた鶏肉を取り出して、フライパンに火をつけた。

二人がこんな生活を始めたのは半年ほど前の事だった。

きっかけはヤマトが大学生になってから初めて台風が訪れた日だった。大学生になった後もなんだかんだ父親の事が心配だったヤマトは、しばらく実家からバイクで大学に通っていた。
台風の影響で大雨だった日も雨に構うことなくバイクで大学に向かうつもりのヤマトだったが、その時のヤマトはまだバイクに乗り始めたばかりで『こんな視界や悪く道路が滑りやすい日にバイクなんかで行くな』と父親に止められた。仕方なく電車を乗り継いで大学に向かったのは良いものの、帰りの電車が台風の影響で運転見合わせ状態となってしまった。ダメ元で父親に電話してみたが、案の定、電話は繋がらずに立ち往生していた時に丈と出会った。
二人が出会った駅から少し歩いた先に丈が一人暮らししているマンションがあるらしく、その日は仕方なく丈の家にお邪魔することになった。
一人暮らしをしている友達の家に行くのはこれが初めてで、少し期待をしながら訪れた丈の家の中は驚くほどに殺風景だった。必要最低限の家具や家電に、ただ物を置くためだけの机。唯一丈らしいと思ったのは壁一面に大きい本棚にギュウギュウに詰められた難しい本ぐらいだった。
丈曰く、毎日忙しくてこの部屋はほぼ寝泊りするだけの部屋になっているらしい。部屋は無駄に広いらしく、ただベッドが置かれただけの寝室ともう一つ空き部屋が残っていた。冷蔵庫もすっからかんで、結局その日は近くのスーパーで買った惣菜やインスタント麺を食べた。
そこまでして一人暮らしを続けている理由は大学が近いから。ヤマトが想像していた一人暮らしと酷くギャップを感じつつも、このまま丈が一人暮らしをしていたらいつか一人で死ぬんじゃないだろうか、という不安さえ湧いてきた。その不安は丈自身も抱いているらしく「誰か僕の家に住んでも良いから、僕の代わりにご飯を作ってほしい」と呟いた。
「……それ、俺でよかったらするけど」
それが、二人がルームシェアを始めたきっかけだった。

ルームシェアをしてからは驚きの連続で、今までどうやって生きて来たんだと思うぐらいに酷い生活をしていたのだが、ヤマトが来てからは丈も人並みの生活を送れるようになっていった。とはいえ、まだ自分の身の周りに余裕がないのか、丈がうっかり鍵を忘れた時はヤマトが帰ってくるまで玄関で座って寝ていたり、「今日中にこれだけはしないといけない」と言ってヤマトが寝る時間になってもリビングで資料を広げて課題をしていた丈が朝起きてもまだ課題をしていた事があったりと、まだまだ放っておけない一面もあった。

そんな丈とのルームシェアの話をすると、大抵「友達なのにそこまでするんだな」みたいな言葉が返ってくる。そういう奴は実際の丈の暮らしぶりを知らないからだろう、なんて思っていたが、ルームシェアでは生活リズムがバラバラだと割り切って暮らすことが多いらしい。多少の助け合いはあるものの、そこまで気遣ってやるやつは初めて見た。本当に友達なのか?と謎に疑われたこともあった。

ヤマトが幼いころから父親と二人暮らしだったため、そういうのには慣れていたが、確かに父親と暮らしていた時はわざわざ弁当なんて作らなかったし、帰りの時間に合わせて自分の夕飯をずらすこともなかっただろう。
放っておけなかったから。
ただその理由だけでここまで気遣ってやるのは友達としておかしいことなのだろうか。

鶏肉を焼き終えて皿に盛りつける。作り置きしておいた煮物や和え物を出して机に並べていた頃に扉が開く音がした。
「だたいまぁ……」
部屋に入ってきた丈は案の定、疲れ切った顔を浮かべていた。今にも肩から落ちそうなリュックサックや上着を自室に置いて戻ってくる。
「おかえり。今日は遅かったな」
「今日も今日とて大変だったよ……あっ!美味しそう」
机に並べられた料理を見て丈の表情がパッと明るくなる。よっぽどお腹が空いているのか、足早に台所に向かって手を洗うと、二人分のお茶碗を取り出して炊飯器に入ったご飯を盛る。
「今日は照り焼きチキンだ」
「ちょうどお肉が食べたいなぁって思ってたから嬉しいよ。もしかして、ヤマトに僕の念が届いたのかな?」
「たまたまだろ?」
「たまたまって、酷いなぁ」と不満げな顔でヤマトを見た後に丈は小さく笑った。机の上に全て並べ終えると、二人は席に着く。
「うわぁ、すっごく美味しそう」
「おかわりもあるからな」
「やった」
年上なのにも関わらず子供のように笑う丈を見て、ヤマトもつられて笑った。自分の作ってくれた料理にここまで喜んでくれるのは丈以外いないだろう。
パン、と両手を合わせる音が響くと、丈は嬉しそうに口を開いた。
「いただきます」
「いただきます」
丈に続いてヤマトも両手を合わせた。鶏肉を一口食べた丈は「美味しい!」と目を見開いて笑った。

ただの友達にここまでしてあげるのはおかしいのかもしれない。
だけど、丈の顔や反応を見ていると、不思議と「一緒に暮らして良かった」とさえ思ってしまうのだ。
もしも、それが友達以上の何かだとしたら。
それはまだ開いてはいけないパンドラの箱のような気がして、ヤマトはその感情にそっと蓋を閉じた。