午後9時を回った頃、スマホの画面上に現れた「LIVE:ヤマト」の通知に私は飛びついた。
「嘘?今?」
通知をタップしてアプリを起動するが、急に配信を始めてアクセスが集中しているのか白い丸がグルグルと回ったまま動かない。寝転がっていた体勢から起き上がると、ベッドに座り込んでスマホを眺める。
先ほど通知が来たアプリは、事務所に所属するアーティストがファンと交流するための専用アプリだ。普段はアーティストがSNSのように近況を報告したり、アーティスト限定コンテンツを配信している便利なアプリだ。一般的に使用されているSNSももちろん運用しているが、誰でも始められるSNSに比べて専用コンテンツを配信しているこのアプリはそのアーティストを好きなファンしか集まらないため、アーティスト自身もファンとの交流を頻繁にすることが出来る。そのコンテンツの一環としてあるのがアーティストによるライブ配信だった。
一般的に利用されている動画アプリでの配信は必ず事前に枠が設けられ、開始時間を告知されることが多い。だが、この専用アプリでの配信はアーティストが突発的に「やりたい」と思った瞬間に配信を始めることが出来てしまうのだ。
そのため、ご飯を食べている最中に突然始まったりすることもあれば、仕事中に配信が始まり、仕事終わりにスマホを開いて配信があったことに気づくなど、ファンはかなり振り回されることが多かった。
もちろん中にはちゃんとチャットにて連絡してくれるアイドルもいるが、私が推しているアイドル、ヤマト君は割と突発的に始めることが多かった。
「早く早く早く・・・」
グルグルと永遠に回り続ける丸を人差し指で何度もタップする。今日は何か撮影や収録があっただろうか?いや、ヤマト君はそういった事が無くても突発的にやり始めるから意味ないか。
ロード画面が終わると黒い配信画面に移動する。しばらくして画面に映ったのは黒いTシャツを着たヤマト君が、渋い顔で画面を見つめていた。私は小さな悲鳴を上げてスマホが手から滑り落ちそうになる。
「ちっか・・・何してんの・・・?」
少しスマホを遠ざけて画面を見る。画面にかなり近づいているのにも関わらず彼の肌はは陶器のように白く、すべすべだった。いつもテレビで見るようなセットされた髪型ではなく、少し長い前髪が垂れ下がっていた。綺麗な金髪の隙間から見える青い瞳は室内の明かりに照らされて宝石のようにキラキラと輝き、これがカラコンではない純粋な彼の目の色なのは神様の子なのだろうかと錯覚してしまう。
『なん・・・だ?これ。これでいいのか・・・?太一がいねぇから分かんねぇな・・・』
スマホから聞こえた声に反応するようにコメント欄の速度が一気に加速する。「見えてるよ」「かっこよすぎ」「今日はどうしたの?」「I LOVE YOU!」など、様々なコメントが川のように流れていった。対抗して「こんばんわ」と送ってみたものの、自分が送ったコメントを示す青い文字はあっという間に消えてしまった。
『ん・・・見えてる?まじ?良かったぁ。あー、えっと、こんばんわ』
画面から離れて椅子に座ったヤマト君はにっこりと笑って手を振った。そこでようやく部屋の中が見えたのだが、事務所内にある待合室のように見えた。会議室ほど殺風景な場所ではなく、壁にはアルバムのジャケットが飾られている。
『今日はちょっと事務所に用事があって俺しかいないよ。ごめんな』
「そうなんだ・・・」「大丈夫だよ!」「お仕事お疲れ様~」といったコメントが流れていく。相変わらず早いコメント欄を見ていると、この速度でコメントが拾えるのはもはや才能なのでは?と思ってしまう。
『別に今日は何もないよ。ただ開いただけ。・・・まぁ、別にいいじゃん。俺だってただ皆と話したい時があったっていいだろ。今日は皆何したんだ?』
世界中の人が一斉にコメントで近況報告をする。自分も打ち込もうかと思ったが、打ち込んだとしても拾ってもらえるわけがない、と諦めてしまう。
『仕事、学校、学校、仕事、仕事・・・休み?良いね。今日一日憂鬱だったけど幸せになった・・・?ほんとか?ちゃんと休めよ?』
今の言葉が世界中にいるどこかの誰かに言われたことだと分かっていながら、画面越しに微笑む姿を見るとどうしても屈服せざるおえない。あぁ、今日の私、頑張ったな。
こうして私はいつもヤマト君がファンと交流する姿を見ていた。ヤマト君は今ここに居ない太一君と二人でアイドルユニットを組んでいる。完璧なビジュアルに劣らないパフォーマンスと歌唱力が評価されながらも、素の姿がまるで男子高校生のような無邪気な一面を見せており、日本を中心に海外でも人気なアイドルだった。そんな彼らはどれだけ名前が大きくなろうとも、こうしてファンとの交流を欠かさないところが私は大好きだった。
だから彼らが元気な姿を見せてくれているだけで十分だった。こうして同じ時間を共有しているような、そんな気持ちになれるだけで幸せだった。
「今日も顔がいいな・・・」
画面越しに笑ったり、コメントを拾おうと真剣な表情をしているどの瞬間も綺麗だった。人ってこんなどの瞬間を切り取っても綺麗な事があるだろうか?時折謎に思うが、この世に彼が生きている以上、その事実が証明されている。
『そうそう。この前太一とさ・・・』
楽しそうに話していたはずのヤマト君の顔が咄嗟に横を向く。画面外に何かあったのだろうか。「ん?」「何??」「どうしたの?」などの心配する声が聞こえるが、ヤマト君はコメント欄を見る事無く、ただ横を見つめていた。
「えっ、何?」
あまりにも微動だにしない姿に見ているこっちも不安になる。だが、画面越しにいる私達では何もできない。
『ちょっと待ってて』
そう短く告げるとヤマト君は席を立ってどこかに行ってしまった。取り残されてしまった私たちはただ、部屋の中を見つめることしか出来なかった。
何かトラブルでも起きてしまったのだろうか?何も言わずに出て行ってしまった彼の事が心配だった。
しばらくした後、遠くから声が聞こえた。ヤマト君の笑い声と、もう一人の声。最初は太一君かと思ったが、声が違う。聞き覚えがあるその声はずっと困惑しているように聞こえる。
『良いから良いから』
そう言いながらヤマト君が画面外から帰ってきて、席に座る。「おかえり!」「誰かいるの?」「太一くん?」と流れてくるコメントにヤマト君は手を振った。そしてまた、画面外を見る。
『いやいや・・・ダメだって。怒られるよ・・・』
『だってもう始まってる』
『それは君が始めたからだろ・・・!』
『大丈夫だって。ほら、皆気になるって』
ヤマト君は嬉しそうな顔を浮かべながら画面外に身を乗り出すように手を伸ばした。そして誰かの腕を引っ張っている。見えた腕は太一君のような筋肉質な腕ではなく、灰色のゆるいスウェットのような服を着た長い腕が伸びていた。
その腕は映らないように踏ん張っていたものの、ヤマト君の押しに負けてズルズルと現れる。その正体は同じ事務所に所属するアイドルの丈くんだった。
「丈君!?」
私は思わず大きな声を上げた。
それは他の人たちも同じようで、コメント欄も「え!?」「なんで??」「丈君だ!!」と今日一番の速さで流れている。ほぼ同い年だとは聞いていたが、あまり接点が無かった2人だったため、とても意外だった。
『はい、自己紹介』
ヤマト君に逃がされないように肩を組まれた丈君は少し戸惑った様子を浮かべながらも自己紹介をした。
『後で怒られても知らないよ・・・?』
『大丈夫だって。多分』
『ほんとかなぁ』
ニコニコしているヤマト君に対して丈君はずっと不安そうな顔をしている。それにしても2人がこんなに仲が良いと思わなかった。丈君も同じように二人組のアイドルグループを組んでいるが、ヤマト君達とは違うコンセプトでアイドル活動をしていて、デビュー時期は近いものの、思い出せる限り音楽番組で共演したぐらいしかなかった。
その時をきっかけに仲良くなったのだろうか。それにしても。
「それにしても距離近すぎない・・・?」
ただのヲタクの意見だと思ってくれて構わない。が、どう見てもさっきから肩を組んだり、腕や手を握ったり、軽く頭を叩いたり、なんというか、同じユニットである太一君よりも積極的なような気がした。
***
『ていうか僕もう帰りたいんだけど』
二人で話しながらしばらく経った後、丈君がボソリと呟いた。
『あれ?帰るのか?』
『帰る時に君がここに無理やり連れてきたんじゃないか・・・』
はぁ、と丈君がため息をつく。その間もヤマト君と肩をぴったりと付けて、丈君の手を握ったり開いたりしている。まるで幼稚園の子供が持て余しているような気がして可愛らしいが、あまり見ない組み合わせのせいで可愛らしさより「そんなこともするんだ・・・」という衝撃の方が強かった。
『じゃあ俺も終わるわ』
『は!?』
「え!?」
ヤマト君の言葉に画面越しの丈君の声と私の声が重なる。コメント欄の速度がまた早くなっていく。
『だってもうそろそろいい時間だろ?ちょうどいいじゃん』
『いや、まぁそうだけど・・・』
『じゃ、そういうわけで今日は終わり!俺たちは今から飯食ってきます』
カメラの視点が変わるとヤマト君が丈君の肩を組んで、狭い画面の中で顔を写そうとしている。
『飯!?聞いてないんだけど』
『どうせ食ってないだろ』
『まぁ、そうだけど』
『だろ?じゃ!というわけで、今日の配信は石田ヤマトと』
『き、城戸丈でした』
『じゃあな~』
ヤマトと君のさわやかな声と共にブチンッ、と配信画面は容赦なく切れてしまった。ご飯?この時間から?二人で?
思考がまとまらないまま、私はSNSを開く。タイムラインは案の定、先ほどの配信の話題で溢れていた。
「あの二人、あんなに仲が良いの?」「知らなかった・・・」「てか、太一君の時より元気じゃなかった?」「それは気のせいでしょw」「にしてもあの距離はやばいって」
ヲタク達の阿鼻叫喚が流れているのを、私はただボーッと眺めることしか出来なかった。そしてそっとスマホを閉じて、ベッドの上に寝転がって目を閉じた。
「ま、ヤマト君が幸せならそれでいっか」
ヲタクは結局こうなってしまうのだ。誰とどういう関係になっていようが、彼らが幸せであればそれでいい。正直、太一君以外の子と交友関係がある事が知れて良かった。彼もちゃんと、友達とかいるんだなって思えた。・・・友達にしては距離が近いような気がしたが、それを考えるのは野暮だろう。
私は静かに目を閉じた。その夜はヤマト君の顔を見ることが出来たのが、かなり深く眠ることが出来たような気がした。
後日、二人が深夜のラーメン屋に行っているところはしっかりと目撃されて太一君に「ずるい」と怒られたらしい。その時の写真がSNSに出回っていたが、よっぽど外が寒かったのかぴったりと身を寄せて腕を組んで歩いていた。この距離の近さは案の定、話題になっていたが、その時に見えた二人の顔が楽しそうだったから、私は何も言わずにSNSを閉じた。