窓から差し込む光が眩しさに光子郎はゆっくりと瞳を開く。うつらうつらと揺れる思考と重たい体の原因は仕事のせいだろう。昨日も早く帰ろうと頭の中で最重要タスクとして掲げていたが、他社とのやり取りや困っている社員のヘルプに自分の持っている仕事、様々な方向からやってくるタスクをひたすら処理しているうちに、テントモンに声をかけられたときはすっかり夜が更けていた。
終電に間に合うように早足で帰って、晩御飯も大して食べることなく風呂に入ってベットに飛び込んだ時には眠ってしまったのだろう。
こんな生活を繰り返していたらいつか体を壊す。そうやって医者の卵に忠告されたのは一週間前のチャットでのメッセージ。それはお互い様ではないか、と返したやり取りが脳裏に浮かぶ。
今日は休みだから気が済むまで眠りたかったが、心配は掛けたくなかった。
重たい体を強引に持ち上げる―――――つもりだったが体が一つも動かない。
ここでようやく体の重さが内側からくるものではなく、外側からの圧力であることを知る。
それは、つまり、どういうことだ?混乱する光子郎の目がハッキリと覚めた時、光子郎の意図しない方向へ体がゆっくりと動かされ、何かが体に強く巻き付かれる感触で、誰かの腕の中にいることが理解が出来た。
いや、理解が出来た。という表現は間違っているかもしれない。斜め後ろからかかる息とふわりと香る、久しい匂い。きっと今、後ろで光子郎を抱き枕にして眠っているのは丈だ。
状況が理解できたとしても理由が理解できない。丈には当たり前だが自室がある。お互いの活動の時間軸やプライバシーなどを考慮して自室を用意できる部屋を借りたのだ。
なのに、丈はいつ、どのタイミングで光子郎の部屋に入ってきて、眠ってしまったのだろうか。
昨日家に帰ってからの記憶なんて残っていない光子郎に答えを導くだけの材料なんてあるわけがない。だからといってこのままにしておくわけにもいかない。光子郎は丈の予定を大雑把にしか理解していないため、今日が丈も休みなのかどうかまでは分からなかった。
「丈さん。起きてください」
腕を後ろに回してポンポンと叩いてみるが、少し唸り声をあげるとさらに光子郎の体を抱き上げる。首の後ろから伝わる吐息や体温の距離が縮まり、光子郎の息がキュッと止まる。
バクバクと活発に動く心臓に息苦しささえ感じてしまい、耐え切れなくなった光子郎はやや強引に丈の腕の中から抜け出した。
まるで有酸素運動を30分ほど行った後のような鼓動と息の速さを収めるように深呼吸をする。後ろを振り向くと、丈は抱いていたものが無くなり空いてしまった空間を埋めるように体を丸めて、穏やかに眠っていた。
寝顔なんていつぶりに見ただろうか。普段は年相応の凛々しい顔を見ているのに、寝顔は子供のようにあどけない。強引に体を動かされても目覚めもしないのはそれだけ忙しい毎日を送っていたのだろう。きっと昨日も光子郎が帰ってくるよりも遅く帰ってきたのだろう。
「丈さん」
「・・・・ん゛ん゛・・・」
丈に聞こえるように耳元で囁くと、もぞもぞと動き始める。起きているか定かではないが、気にせず話しかけてみる。
「今日は丈さん、休みなんですか?」
「今日、は・・・・休み・・・」
ポツリ、ポツリと声を絞り出しながら、丈の瞳が薄っすらと開いた。普段見ない顔に愛おしさを感じながら、光子郎はそっと微笑む。
「じゃあ僕、先に起きてご飯作っておきますね。丈さんはもう少し寝てても大丈夫ですよ」
いつもなら「それは申し訳ないよ」と言いながら起き上がるのだが、丈はコクリと頷いてはゆっくりと瞬きを繰り返す。少し幼く見えたその姿に頭をそっと撫でると、ゆっくりと目を閉じていく。まるで赤ん坊をあやしているような気分だった。
スゥ、と寝息を立てたのを確認すると光子郎は部屋を静かに出ていく。
「光子郎はん」
「テントモン。おはよう」
部屋から出ると、リビングにはもうテントモンがいた。ごめんね、今からご飯作るよ。と言うと一緒に手伝うと後ろを着いてきた。
最近まともに料理をしておらず心配だった冷蔵庫の中に入っていた食材に安堵すると、卵を取り出してフライパンを温めた。久しぶりに一緒に朝ご飯を食べれる事が嬉しくて、自然と気分が上がっていく。
「光子郎はん・・・えらい朝から嬉しそうでんなぁ」
「えっ?」
「さっきから口元が上がりっぱなしですわ。何か良い事でもあったんでっか?」
「あぁ・・・まぁ、ちょっとね」
光子郎の曖昧な返答にテントモンは首をかしげるが、特に追及することはなかった。
油を敷いて卵を入れればパチパチと弾ける音と美味しそうな匂いがする。今日は良い一日になりそうだ、と窓から見上げた空は澄んだ青が広がっていた。