11月の空はとても黒い。
どこまでも遠く、吸い込まれてしまいそうな黒の中にいる月は良く目立つ。それは丸く、大きくなるほどに、強く存在を示す。
そんな月も今日は生憎の三日月。細く薄い月明かりと等間隔に置かれた街灯の弱い光では、夜の道を歩くには少し心もとなかった。
本来ならこんな道は自転車であっという間に駆け抜けて、今頃家に着いている頃だろう。携帯に映る「19:18」の文字を見ては小さく息を吐いた。
「えっ」
今日の授業が終わり、忙しなく帰路へ向かう生徒達の波から少し外れた丈は、電話の先で「すまん」と謝る兄の声に眉を寄せた。
「迎えに来れないって・・・どうすればいいの?」
『タクシーとか電車とか、バスとかで帰ってもらっていいか?後で金は返すから』
しばらく出れそうにないんだ。そう続けた兄さんの声の向こうは少し騒がしく、兄さんの名前を呼ぶ声も聞こえてきた。
「・・・うん。分かった」
『ごめんな。気を付けて帰れよ』
「兄さんも頑張ってね」
プツリ、と切れた電話に深くため息をついた。兄さんにあえて何も言わずに切ったが、今日の丈には財布がない。
理由は単純。家に忘れたのだ。とはいえ今日は休日だし、久しぶりに休みだった兄さんに送り迎えをしてもらうから必要ないだろう。と軽く見積もっていたのだ。
それが今、大きくて重要な問題として丈の前に立ちはだかっている。
(・・・歩くしか、ないか)
お金のない状態で街の中に放り出された丈に残された選択肢は徒歩しか残っていなかった。
今、どこまで来ただろうか。
ふと顔を上げて見渡すと、辺りは行き交う車と反対側にある住宅街の光で溢れていた。丈の横を通り過ぎていく自転車にぶつからないように端の方へ寄りながら、柵の向こうがわに広がる夜景に目を向ける。
空に広がる小さくて儚い光とは対照的で、強くはっきりとした光はキラキラと輝いていた。いつもなら見向きもしなかった街の景色に丈は思わず息を飲んだ。
いつもと変わらない平凡で少し退屈な街が違うように見えて、重くなっていた足取りが少しだけ軽くなっていく。車道の横を抜けて少し入り組んだ住宅街に入り込めば、音は小さく、光は弱くなる。たまに通り過ぎていく車のライトが丈の影を伸ばしては暗闇へ揉み消した。
何も考えることなく、急ぐことのない、とてもゆったりとした時間が流れていく。
いつもなら寒くてたまらない夜の風も今は気持ちいい。そっと吐いた息が白く、穏やかに空へ消えていく。その様子につられて顔を上げると、小さな光がポツポツと僅かに夜空に落ちている。
(ここでも見えるんだ)
目を凝らせば光と光の間にさらに小さな光があれば、動く赤色の光もあった。夜空があれば星がある。そんな当たり前のことがとても新鮮に思えてくる。
この景色が皆にも共有出来たらいいのに。
そう思いながら撮った写真は真っ暗で、こんな携帯のカメラじゃ収めれないことぐらい分かっていながらもその写真が面白くて自然と笑みが零れる。
気づけば軽くなった足取りと共に少しだけ横腹が痛い。普段は自転車で行くような距離を歩いていくことなんて早々ない。だけれど、嫌じゃなかった。
忙しなく移り変わる日常の中で落としたまま、何か大切なものを忘れかけていたような気がして、それを忘れないように、刻み込むように空を見上げては目を凝らして星の輝きを焼き付ける。冷たい空気が体の中を回るごとに頭がすっきりとしていくのが心地が良い。
自然と上向いていく気分と共に足取りが軽くなる丈を、星空と街の光が淡く照らしていった。