超えない一線

「あっ」

高架下の日陰に隠れるようにた佇む一つの影。風で吹き飛んでしまいそうな細いシルエットが鮮明になると、少し跳ねた紺色の髪に黒縁の眼鏡が白い肌をコントラストに目立たせる。しゃがみ込んだ足の間に自身のパートナーを乗せ、何か楽しそうに話しながらも太文字で大きく「入試対策」と書かれた本を器用に読み進めていた。
「ゴマモン!」
タケルの声が出る前に、頭の上に乗っていたパタモンがパタパタと羽を動かして丈の元へ飛んでいく。パタモンの声に気づいたゴマモンが足の間から飛び出すと、丈がようやく本から目線を外してタケルと目が合う。

「タケル君」
「こんにちわ。珍しいですね。丈さんが一番乗りなんて」
「思ったよりも時間が空いちゃってね」
本を閉じて大きな黒いリュックサックに仕舞う丈の隣にさり気なく座る。あまりにも自然に座ったせいなのか、丈は特に気にする様子もなく川の近くで遊ぶゴマモンとパタモンを眺めていた。
「元気?」
「はい。いつも通り、みたまんまです。丈さんは・・・少し痩せました?」
「えっ。痩せた・・・かな・・・?」
腕を上げて自分の体をまじまじと見ながら「体重最近計ってないからな・・・」と呟いた。丈は受験生で忙しく、今日のような集まりにはあまり顔を出さない。ついでに言うと目の下のクマが少し濃いような気もした。
「勉強もいいですけど、ちゃんと食べないとダメですよ。特に今みたいな暑い日なんて、夏バテ起こしちゃいますよ」
「分かってはいても意外と出来ないもんでね・・・」
「そんなこと言ってるからこんなに細いんですよ?」
丈の手首を掴んで軽く持ち上げる。タケルの手の平にすっぽりと収まる細くて薄い腕は、関節が角ばっていて少しだけ冷たい。高架下の影一線を越えれば干上がるほど暑いのに、丈の体だけ冬に取り残されたようだった。
「そんなこと言ったって、タケル君だって細いだろう?」
そう言いながら丈は空いた手でタケルの腕を掴み返す。大きな手の平から伝わる冷たい温度が少し火照ったタケルの腕を冷ましていくが、顔までは冷やしてくれない。
「中学生と高校生を一緒にしないでくださいよ」
「・・・まぁ、それもそうか」
誤魔化すように笑いかけると、丈はあっさりとタケルの腕を離してしまう。消えてしまった冷たさが名残惜しくて丈の腕を離せずにいると丈がふっ、と小さく笑った。

「丈さん・・・?」
「いや、ヤマトにそっくりだなぁって」
突然零れた名前にタケルの胸がチクリと痛む。
「どこがですか?」
「どこって、人の心配ばかりして自分の事は棚に上げるところ。まぁ、ヤマトならすぐに怒るけどタケル君は怒らないから、そこは違うけどね」
兄弟ってやっぱり似るもんだね、と丈は笑った。兄さんと似ている。その言葉は色んな人に沢山言われてきたけれど、その言葉が嫌だと感じたのは初めてかもしれない。

「そんなに似てないですよ」
その言葉と一緒に丈の腕を強引に引き寄せると、丈の顔が目と鼻の先まで近くになる。レンズ越しに見える黒い瞳は、酷く分かりやすく動揺していた。

「タケル、く」
「こんなに近くても、一緒に見えますか?」

嫉妬。
酷く分かりやすく感情を露にしては、静かに笑う。丈さんの匂いが鼻をくすぐり、殺している息が静かにかかる。掴んだ腕を下へ滑らせて大きな手を握ると、分かりやすく強張っていく。
4歳も年上の先輩にこんな悪戯をされるなんて思いもしなかった。そんな事を思っているのだろうか。
「丈さん」
耐えきれず逸れた視線に呼びかけると、ビクリ、と肩を震わせた。あともう少しな距離に「一層のこと」とタケルの中に悪い影が忍び寄った時。

「タケルー!!」

パタモンの声が高架下に響くと、タケルの絡みついた腕は強引に引き離される。
重心が後ろに下がって倒れそうになった丈は咄嗟に後ろに手をつくと同時に、視線が下へ下がる。少し長い前髪の影に隠れた丈の表情に、全てを奪われそうになったタケルの耳に「タケルってばぁー!」と高いパタモンの声で我に返った。
「ご、ごめん!どうしたの!?」
丈をそのままにパタモンのところへと駆け寄っていく。パタモンとゴマモンの話を聞いて相槌を打つが一つも入ってこない程、さっきの丈の顔がタケルの中を埋め尽くす。
(なんで、)
影を落とした顔に映った赤い頬。少しだけ開いた口。レンズ越しに見えたのは困惑と、少しだけの悲しみ。
まるで、期待されていたような。
(・・・ずるい。)
期待しているのは、僕だけで充分なのに。