「ごめん!」
昼下がりの街中。待ち合わせ場所として多くの人が利用する噴水の前で、人目も気にせず両手を合わせて頭を下げる太一に光子郎はため息をついた。
「今、何時だと思ってるんですか」
「・・・11時だな」
「集合時間、何時でしたか?」
「・・・10時だな」
おずおずと頭を上げた太一と目が合うと、誤魔化すように光子郎に笑いかける。だが、そんな笑顔1つで許されるなら光子郎もここまで怒っていない。
「だから早めに集合しましょうって
言ったんじゃないですか」
「流石に10時なら大丈夫かなーって、
思ったんだけどな」
逃げようのない弁解を光子郎相手に並べても仕方ないことぐらい太一は分かっているはずなのに、光子郎の眼光が恐ろしいのか適当な言葉を並べては申し訳なさそうに笑う。
光子郎も今更怒っても仕方がないことぐらい分かっていた。こんな早くに集合したのは、先週に太一が「ここのモーニング美味しいってヤマトに聞いたんだよ。次の休みに一緒に行こうぜ」と誘ったからだ。
そのカフェはこの街でもそこそこ有名なカフェで、家で調べてみると「モーニングが豪華で美味しい」と沢山のレビューがあったのを2人で見てどんなモーニングなのだろうかと楽しく会話を数日前にしたばかりだった。
そのモーニングが出てくるのが朝7時から11時。
光子郎は万が一の事を考えて9時頃の方がいいのではないか、と提案していたのを10時で大丈夫だと言い張ったのが太一だった。
それでいて、この有様だ。
2人で初めて見た時の感動を共有するためにわざわざ内容や写真などの情報を見ないようにしてきた光子郎なりの配慮も水の泡だ。今更カフェに行ったところで食べたかったモーニングは食べるどころか、見ることもできない。
ふつふつと湧き上がる余計な怒りそのものが腹立たしい。今更あーだこーだと理由付けて太一を責めても仕方ないし、モーニングは別に今日じゃなくてもいいのだ。そう言い聞かせても、自分の感情と反比例した太一の姿に落差を感じる。
正直、とても悲しかった。
(太一さんは、そこまで大事じゃなかったんだ)
浮かんだ言葉が光子郎に突き刺さって抜けない痛みが鬱陶しくて、握った手の力が呆気なく抜けていく。血の気が引いていくように冷静になっていく頭で次の事を考えた。モーニングがなくたって、まだまだ時間はあるのだ。
ジクジクとどこかが痛みながらも、太一の名前を呼ぼうと顔を上げた時だった。
「悪かったよ。光子郎」
ポン、と効果音が鳴りそうなぐらい軽い何かが光子郎の頭に乗って、左右へ動く。
それが太一の手だと気付いた時は、光子郎の頭から離れた時だった。
「たっ」
「お前が嫌じゃなかったらさ、普通にあのカフェに行かねぇか?」
さっきやった事なんて気にもしない様子で太一に提案される。ただ、その眼差しは普段より気持ち悪いほど優しい。
「べ、別にいいですけど」
「よかった。じゃあ、行こうぜ」
光子郎は太一の手に引かれるがままに歩き出す。さっきまでの痛みとは違う痛みが心臓の動きに合わせて光子郎の中で握りしめられる。
太一の中で無意識で出てしまったのだと思われる「兄」としての優しい眼差し。あの眼差しはある状況に置かれた時にしかでてこない眼差しだった。光子郎は何度か「第三者として」見たことはあったものの、当事者として見たのは初めてだった。
だからこそ、やっぱり許さない。
許さないのに、あの行動と眼差しで許してしまいそうな軽い自分が憎い。
(まるで僕が)
悔しさを乗せて握りしめた手がより強い力で握り返される。
不思議そうな顔を浮かべて光子郎をみた太一に
「なんでもないです」と不愛想に返した。