「丈!」
ヤマトの声が耳を突きさす。その声にはいつもの優しさは欠片もなく、ただ怒りで支配された荒々しい声。突き刺さった声に足を止めるも振り返らない。ムカムカと奥底から湧き上がる苛立ちを押し殺してゆっくりと口を開けた。
「・・・ちょっと、頭冷やしてくる」
自分でも驚くほど声が低く、喉元が酷く熱かった。そのまま吐き出してしまいそうなどす黒い感情を飲み込むように口を閉じると、ヤマトの制止の声を聴くことなく扉を閉めた。何も聞こえなければ開くこともない扉が憎たらしくて、その場から逃げ出した。
「・・・・はぁ」
夕暮れ。
学校や仕事から解放された老若男女が自分の家へと足を進めている中、丈は進むことも戻ることもできないまま、ただ橋の上に立って下を流れる小さな川の眺めを眺めていた。
始まりはほんの些細なことだった。些細なこと過ぎて思い出すこともできない。ほんの些細な言い合いで済んだはずなのに、どこかで上手く噛み合わないまま膨れ上がり、弾けてしまった。
『そんなに俺と一緒にいるのが嫌なのかよ』
ヤマトの言葉が丈の頭の中で巡る。その後はきっと「そんなことない」と答えたはずだ。それなのにヤマトは納得しなくて、「忙しいのにわざわざ会ってもらう必要はない」だとかなんだとか言われて、丈も頭に来て言い返してしまったのだ。
もう少し冷静になればこんなことにならなかっただろう。そんなことを今更思っても仕方なかった。あのままヤマトと言い合いをすれば余計なことを言ってしまい、2人の間に亀裂が生じてしまうような気がした。それが怖くて逃げるように家を飛び出した。
そのおかげで携帯も財布も何も持ってきていない。
それに気づいたのは家から結構歩いた位置だった。おまけに頭の中に巡る感情の整理をするためにただただ歩いていたのでどこの道を通っていたかもわからない。
何度突っ込んでも何も入っていないズボンのポケットを見てため息をつく。行き当たりばったりに歩いていたら戻れるだろうが、後ろめたさで足が動かない。
「嫌なわけ、ないだろ」
ポツリと呟いた届かない声は秋の空へ消えていった。せっかくの休みなのに、せっかくヤマトと1日一緒に過ごせるというのに、こんなところで何をやってるんだろう。
動き出せない自分が惨めで涙が出そうだった。腕を組んだ手を強く握りしめた時。
「丈!」
反射的に声のする方を見た時、橋の前にヤマトが立っていた。走ってきたのかトレーナーの袖をまくって、肩が大きく揺れていた。獲物を狙う青の眼光が丈を捉える。その圧にひるんでしまった隙を狙って、ヤマトが丈の腕を掴んだ。
「お前、どこいってるんだよ!?」
「えっ・・・と」
「財布も携帯も置いていきやがって!連絡しようと思ったら繋がらねぇし。いろんなところ走り回って、人に聞いて、死ぬほど走って・・・」
「それは「どんだけ心配したと思ってんだよ!?」
丈の言葉を遮ったヤマトの声と共に、腕を強く掴まれる。金色の髪から覗く瞳にはもう怒りの感情は見えず、涙が零れそうな色をしていた。
「・・・ごめん、なさい」
チクリと痛む胸が苦して伏せた視界に、金色の髪が映る。胸元から伝わるぬくもりにどうすればいいのか分からないまま、浮いた手をそっと落ちていく。
「・・・俺も悪かった。あんなこと言って」
「ヤマト・・・」
静かに呟かれたヤマトの言葉に応えるように、丈はヤマトの手を優しく握る。ゆっくりとヤマトの顔が上がって目が合うと、丈はいつものように笑いかける。
「一緒に帰ってもいいかな」
「丈・・・。っ、当たり前だろ。1人で帰れないくせに」
「それもごめん」
「・・・帰ったら飯、手伝ってもらうからな」
「うん。頑張るよ」
「当たり前だ」
刺々しい言葉に反して、ヤマトは小さく笑った。握られた手のぬくもりが嬉しくて握り返すと、さらに強い力で、丈の手は握り返された。