校門を潜り抜ける時がいつも楽しみだった。
下校のチャイムが鳴り響き、教室が一気に騒がしくなる。今日はどこで遊ぼう。誰を誘おう。と誰もが話している中、ヤマトは友人に軽く挨拶をしてから教室を出た。
ヤマトはいつも週に3日ほど、お台場から三軒茶屋に住んでいるタケルの家に行く事があった。夏休みが明けてから「いつも家で一人過ごしているくらいならうちに来ればいい」と母親が言ってくれたのがきっかけで、お台場から三軒茶屋まで電車で一時間もかかることから、その日はいつもより早く学校を出ていた。
そんなヤマトの楽しみはタケルに出会えることだけじゃなかった。
校門をくぐって横を見ると、少し離れた場所に歩いていた少し高い背丈を見つける。その瞬間、心臓がギュッと縮こまったのが分かった。良かった、今日もいる。
その後ろ姿を目指して走り出すと、黒いランドセルをパンッと叩く。その音に驚いて、レンズ越しの黒い瞳がヤマトを見た。
「びっ……くりしたぁ」
驚いた表情を浮かべる丈に得意げに笑ってみせた。ヤマトはそんな驚いた丈の顔を見るのが好きだった。
「そろそろ慣れろよな」
「無茶言うなよ」
驚かされてばかりの丈も大してヤマトに怒る事無く、二人はそのまま歩き出す。ヤマトのもう一つの楽しみは、こうして丈と一緒に帰る事だった。
丈と一緒に帰るようになったのは最近の事だった。
特に約束をしたわけでもなければ待ち合わせているわけでもない。校門を通った先に丈がいればヤマトが追いかけて、ヤマトが先に居れば丈が追いかけて、そうやって一緒に帰ることが多かった。夏の日の冒険の時には常に何かに追われて切羽詰まっていたせいかあまりまともに話せていなかったが、いざ二人で話してみると意外と会話が弾んで楽しかった。会話の内容はどれもくだらなくて中身の無い事ばかりだったが、そんなくだらない事を言い合えることが楽しかった。もう少し学校と駅との距離があれば良いのに、と何度も思いながら、別れ際は平気なふりをしていた。
少し寂しけれど、また会える。そう思いながら過ごしていた日々はあまりにもあっけなく終わりを迎える。
丈の卒業だ。
歩道に並んでいる木々の色が移り変わっていき、丈の口から受験の話を聞くたびに少しずつ終わりを感じ始める。それでも「寂しい」なんて言葉は丈に言えるわけもなく、ヤマトはいつも通りに過ごした。
そして、春が訪れた。
紺色のブレザーを身に纏い、胸にピンク色のコサージュを付けた丈はいつも一緒に帰っていた丈とは違う誰かのように思えた。周りが笑って「おめでとう」と言っているなか、ヤマトだけぎこちなく笑うことしか出来ない。丈の努力は実を結んで、中学から進学校へと進んでいく。ずっとこのために頑張ってきたことは誰よりも分かっていたつもりだったのに、心の底から祝福してやることが出来なかった。
満開の桜の中、ヤマトは一人で校舎を出た。きっと丈は今日来てくれた家族と一緒に帰るのだろう。いつもより人通りの多いグラウンドの中にひとりぼっちのヤマトは余計に浮いて見えて、逃げるように校門をくぐった。
「ヤマト」
聞き覚えのある声だった。だけど、目に映ったものが信じられなくて桜の花に包まれた幻想のように思えた。校門前の卒業式の看板から少し離れた場所、確かにそこには丈が立っていた。
「お前、なんで」
驚いた顔をしたヤマトを見て、丈は得意げに笑ってみせた。
「やっとやり返せた。……なんてね。今日で最後だから、ヤマトと帰りたくて」
嬉しくて、涙が出そうになった。心臓の音が鳴り響いて止まらない。それを隠すようにヤマトは息を吸い込んで、丈の元へ歩いていった。
ふわりと撫でる桜の匂いが、ヤマトの中にある一つの感情に名前を付けた。
あぁ。俺はきっと、お前の事が。