今日は日本中が浮かれ立つ日だった。
2月に入ってから「HappyValentine」の文字が目に入り始め、本場のチョコレート、有名パティシエが監修しているショコラから、アニメキャラクターをイメージしたチョコレートが棚に陳列している。その横には手軽に量産できる製作キットから袋詰めされたチョコの塊も並んでおり、選り取り見取りだ。
その中からそれぞれの思いを乗せてチョコを選ぶのは女性達に紛れ、隠れるように手を伸ばして1つのチョコを購入した浮かれ者は、薄暗い赤色の包装で包まれたチョコを持ったまま家へと帰ってしまっていた。
(流石に、ねぇ・・・)
机の上に置かれたチョコをチラリと見た城戸丈は大きなため息をつく。楽しそうにチョコを選ぶ女性達に紛れて男一人がチョコを選び買うのはかなり恥ずかしかったが、会計を済ませた時には峠を越えたような達成感に満たされていた。そこから真っすぐあの家に向かえばよかったのだが、歩いてるうちに自分自身に対する違和感を感じ、歩けば歩くほど渡すことに恐怖を感じ始め、結局、自分の家に帰るという情けない有様だった。
情けない、と言っていながら今すぐ外に出れないのも事実である。やっぱり2月14日という日に男が男にチョコを渡すというのはおかしい。丈はもちろん「そういうつもり」で渡そうとしているのだが、あっちはそういうつもりではない。いわゆる一方通行、片思いというやつだ。
高校生にもなって何を少女漫画みたいなことを思っているのか、自分自身を馬鹿にするように鼻で笑ってみても足は動かない。結局は一方的な思いを抱いたまま終わっていく。
いつだって強く前に出ることが出来なかった自分の事だ。一時的な勢いだけでまかり通る程、城戸丈という男の足取りは軽いものじゃなかった。
それは自分が痛いほどよくわかっている。
痛いほど分かっていながらも、包装を破ってチョコを食べることが出来るほど諦めが良い訳がないことも。
「・・・あぁ、もう!」
机の上に置いてあったチョコを手に取って上着を羽織った。ポケットにチョコを仕舞うと家族にバレないようにこっそりと家を飛び出していく。
外はすっかり暗くなって吐く息が白く消えていった。吸い込む冷たい空気が丈の中の雑念を払われていくようだった。空を見上げると、微笑みのように欠けた三日月が空に光っていた。
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着いた。着いてしまった。
ハァハァと上がる息を収めても心臓の高鳴りまでは抑えてくれない。走った時の速さのまま、トクトクと鳴り響いてくるのが苦しくて仕方ない。
極度の緊張に陥った丈の頭は、ダムが決壊したように感情が渦を巻いて流れこんでいく。このインターホンを押して、出てきたらなんて言えばいい?どんな顔をすればいい?
「石田」と書かれた表札の下にあるインターホンのボタンに手をかけるまで何回深呼吸したのかも分からない。だが、今更引き返すこともできない。
スゥ、と息をゆっくりと吸う。今更引き下がれないのなら、行くしかない。ゆっくり吐いた息が白い靄を作って消えていく。少しずつ収まっていく心臓の音を感じながら、インターホンに触れた指に力を籠める。
「―――丈?」
突然、横から聞こえた声に丈の心臓は爆発するように跳ね上がった。その勢いで押されたインターホンの音が鳴っても、玄関の向こうから物音はすることはない。
恐る恐る声の聞こえた方を向くと、買い物袋を手に持ったヤマトが立っていた。
「ヤッ、ヤマト!?」
「何やってんだ?俺ん家の前で」
「え、えっと、その、あー・・・えっと・・・」
ドクドクと心臓が鳴り響き変な汗が流れる丈を不思議そうにヤマトは見つめる。慌てて手を突っ込んだポケットの中にあるチョコをそっと握りしめた。
やるんだ。僕。
「ヤ、ヤマト!」
「な、なんだよ・・・」
丈の大きな声に不審そうな顔を浮かべるヤマトに構うことなく、丈はポケットからチョコを取り出した。
「あの、えっと・・・これ!父さんの知り合いの人に貰ったんだけどさ!家に沢山あってて処理しきれなくて、よかったらどうかなーって思って、その、結構有名なパティシエが監修してるショコラ?らしくてさ、多分美味しいと・・・いや、美味しかったよ!美味しかったから、ヤマトもどうかなーって・・・さ・・・」
アホだ。馬鹿だ。
勢いよくチョコを取り出したかと思えば嘘しか並べられていない。何が父さんの知り合いだ。何が美味しかっただ。
「・・・あぁ、丁度良かった」
「えっ?」
血の気が引いて倒れそうな丈に気づいていないのか、ヤマトは丈のチョコを受け取ると「ちょっと待ってろ」と言って家の中へ入っていく。しばらくすると扉が開いてヤマトが出てきた。
「手」
「へ?」
「出せって。手」
「は、はぁ・・・」
言われるがまま手を出すと、その上にちょこんと白色の小さな袋が置かれた。
「えっ、これ」
「俺もチョコ作ったんだけどさ、丈にあげるタイミング逃してたところだったんだよ。そもそも男同士がチョコ送り合うなんて女子の友チョコとは訳が違うしさ。どうしようかと思ってた。まぁ、友チョコ的な意味で受け取ってくれよ」
「あっ、あぁ。そ、そうだよね!いや、僕もどうしようかと思ってさすごく迷ったんだ・・・あぁ、良かった」
まさか貰えるなんて思っていなかった。きっとヤマトの手作りなのだろう。ヤマトがこのチョコに乗せた思いは「友人」なのだろうが、それでも良かった。貰えるだけで十分だった。
「じゃあ、僕帰るね。今日すごく寒いから風邪ひかないように」
「分かってるよ。ありがとな。わざわざ」
「うん。こちらこそ、ありがとう」
嬉しさがこみ上げて緩みそうな顔がバレる前にヤマトに別れを告げる。渡しに行ったのが夜でよかった。寒さが身に染みる中、少しだけ熱を持った頬が温かった。
家に帰って家族に隠れるように自分の部屋に入った。ポケットから小さな袋を取り出してゆっくりと封を開けると、中には小さなカップケーキがふたつ入っていた。茶色のカップケーキをひと口食べる。
「ふふふっ」
甘いチョコの味が口の中で残る心地よさに緩む口元を隠すように、丈は窓越しの空を見上げた。
******
(・・・・びっくりした・・・・)
チョコを貰って機嫌よく帰っていった丈を見送ったヤマトは、扉を閉めて息をゆっくり吐いた。
バレンタインだからとはいえ渡せる訳がない。なんて言いながらも作ってしまったカップケーキを渡しに行くべきか、悩んでいたヤマトは気分転換に買い出しに出かけていたのだ。買い物をしながらも気が気でなく、いっそのことなかったことにしてしまおうかと思いながら帰っていたら、家の前に丈が立っていたのだ。
明らかに何かを隠す素振りで渡されたチョコは買い物に出かけたスーパーの陳列棚に似たような包装があった気がしたが、あえて突っ込まずに受け取った。
裏面の明細を見ると「ビターチョコ」と書かれている。シールと包装を剥がして蓋を開けるとおしゃれな模様や形を六個のチョコレートが綺麗に並んでいた。一つ摘まんで口の中に入れるとほろ苦さが口の中で広がる。
「友チョコ、か」
ポツリと呟いた言葉に返ってくるものはなく、もう一度放り込んだチョコはさっきよりも苦く感じたような気がした。