あの夏の日から、何日過ぎていっただろうか。
一生忘れることのない、長くて短い僕らの冒険。そんな「英雄譚」を知ってる人間は一握りで、彼らの周りはそれを知らずあの日のことを思い出として残し、過ぎ去っていく。
そんな街の姿に、なんとも拍子抜けてしまう。別に賞賛してほしいわけでもないが、まるであの日のことが幻のように見えてしまって仕方ない。
ずっと隣にいたはずの君がいなくなり、仲間は集まることがなくなった。皆は皆の生活があって、日常がある。その「当たり前」に戻っただけなのだ。
誠実の紋章を持った選ばれし子供、城戸丈もその一人だった。
久しぶり(?)の模試の点数は散々な結果だった。どうにか挽回するために日々勉強に打ち込んでいる。が、どうも集中が出来ずにいた。
ノートに走らせていた鉛筆が止まる。数秒間の葛藤の後、匙を投げてしまった。外は快晴で、青い空が目に染みる。一枚の壁をもろともせずに聞こえてくる蝉の声に顔をしかめてしまう。
ふと机に目を落とすと傍らに置いてあるデジヴァイスの液晶が光に反射している。僕らの冒険を幻で終わらせないことを証明してくれても、もう光ることはないのだろう。
もう一度、なんてわがままだろうか。もう一度、と言えば君はまた来てくれるだろうか。
いや、こんなことを思っていたら笑われてしまうだろうか。勉強頑張れよ、って言ってくれたんだ。もう一人の夢じゃなくなったのだ。ここで止まっていたら、情けないと思われるかもしれない。
机の上にあるオレンジジュースをグイッと飲み干して気合いを入れなおす。
ここで立ち止まっては――――
ピンポーン、とインターホンが鳴る。
パタパタとスリッパの音がして母さんの声が聞こえる。こんな真夏日に誰だろうか。
通販は我が家はあまり使わない。近所の人だろうか。
どちらにしろ、今の丈には関係のないことだ。勉強を再開しなければ。せっかく気合いを入れなおしたのだ。
鉛筆を手に取って問題に集中する。が、コンコンと扉を叩く音が聞こえる。返事をすると、母さんが顔を覗かせる。
「どうしたの?」
「丈のお友達よ。石田くん」
「えっ」
思ってもいない人物に思わず声を上げる。慌てて立ち上がって部屋から出て玄関に向かう。そこにはリュックサックを背負った石田ヤマトが立っていた。
「ヤマト・・・?」
「あぁ、ごめん。忙しかったか?」
「いや、大丈夫。だけど・・・何かあったの?」
ヤマトが丈の元へ来る。ということはもしかしてデジモン関係の事だろうか。反射的に持ったデジヴァイスを握りしめる。
「とりあえず、僕の部屋に」
「い、いや。大丈夫なんだ。大丈夫なんだけど・・・」
「・・・?」
ヤマトの顔は気まずそうで何か言うことを躊躇しているようだった。一つも合わなかった目がバチッと合う。その瞬間何かを決断したように口を開いた。
「暇だったらでいいんだけどさ・・・一緒に遊ばないか?」
「・・・・・・へ?」
予想とはるかに違う言葉に目を丸くする。そんな丈を見てヤマトは焦って「別に無理にとは言わないから」とつなげる。
「あ、いや。ダメじゃないんだけど・・・」
こういう時どうすればいいんだ。勉強をしないといけないが、正直また再開できるかと言われたら頷けない。
2人の気まずい空気を破るようにヤマトが口を開きかけた時、後ろから母さんがやってくる。
「あら、丈。遊びに行くの?」
「えっ、あぁ、まぁ・・・」
「じゃあこれ」
そう言って母さんは丈に二千円を渡す。
「えっ」
「もうすぐ昼だし、これでご飯でも食べてらっしゃい」
「いや、僕は」
「そんな気にしないで。丈、こうでもしないと遊びに行かないから。誘ってくれてありがとね。石田くん」
母さんは二コリと笑って奥の部屋へ消えていく。渡された二千円とヤマトの顔を交互に見る。ヤマトも戸惑って丈の顔を見ていた。
「とりあえず、準備してくる。待ってて」
「あ、あぁ」
部屋に戻って財布に二千円を入れて、バックにしまう。遊ぶ、となったら何が必要なのか全くわからないまま、思い思いに物を詰め込んだ。
「ごめん、じゃあ行こうか」
「あぁ」
外は快晴だ。青い空に白い雲、セミの鳴き声までは知っていても照り付ける太陽の熱は知らなかった。流れてくる汗をぬぐう。
「大丈夫だったのか?」
「え?あぁ、今日は勉強する予定だったけどなかなかやる気が出なくてさ」
「珍しいな。って、俺もいつもなら家でテレビ見て過ごすのにさ、妙に静かなのが気持ち悪くて」
ヤマトもガブモンと別れてから中々切り替えれずにいたようだ。ズボンにデジヴァイスがついているのが見え、丈バッグにつけた自分のデジヴァイスにそっと触れる。
「このままいるのも暇だしさ、誰かと遊ぼうと思ったんだ。最初に太一の家に行ったんだけどサッカーの練習でいないってヒカリちゃんに言われてさ。流石にヒカリちゃんと遊ぶのはなぁ、ってやめたんだよ。それで、空の家に行ったけど案の定サッカーの練習でいなくて。まぁ、ミミちゃんは海外にいってるだろ?そうしたら光子郎か丈かタケルでさ。光子郎は外で遊ばないだろうし、まだ丈なら遊ぶかなって思ったんだ」
「相変わらずバラバラだね、僕ら」
「だろ?だから、丈がダメだったら諦めて帰ろうかなって」
「タケルくんのところにはいかないのかい?」
「邪魔はできないからさ」
タケルのお母さんを気遣っているのだろうか。そう言って笑うヤマトの顔は少し寂しそうだった。
「何して遊ぼうか」
「それが何も考えてなくてさ・・・適当にボールとか持ってきたんだけど」
「僕もよくわかんなくてさ・・・トランプとか持ってきたけど、外だもんね」
「キャッチボールでもするか?まぁ、それぐらいしかできないけどな」
「そうだね。でも僕、体育の授業ぐらいでしかやったことないんだよなぁ・・・」
「大丈夫だって。俺がどんな球も取ってやるよ」
「そういえば、野球やってるんだよね」
「あぁ。任せろ」
そう言って笑うヤマトが頼もしく、「じゃあ任せた」と丈も笑った。
公園に着いてボールを取り出す。野球ボールとは違って軽くて柔らかい素材でできたボールだった。これなら素手で取っても取り損ねてあたっても大丈夫だろ?と言ってヤマトは距離を取る。
「いくぞ!」
「うん!」
ヤマトが投げたボールは綺麗に軌道を描いて丈の元へ行く。そのボールが手にバウンドして零れそうになるが
何とか両手でキャッチする。キャッチできたのが嬉しくて思わずボールを掲げて「取れたぞ!!」とヤマトに見せる。そんな丈を見てヤマトも笑って親指を立てる。
「よし、いくぞぉ!」
おおきく振りかぶってボールを投げる。ボールは見当違いの場所へ飛んでいき、「あぁ!」と声を上げる。だが、ヤマトはボールを追いかけてキャッチする。走ってキャッチするぐらい、野球をしているヤマトには造作のないことなのだろう。
「ごめんヤマト!」
「これぐらい大丈夫だって。そんなことよりいくぞ!」
ヤマトも楽しくなったのか、ボールをすぐ丈の元へ投げる。丈はボールを慌ててキャッチしてはヤマトのところへ投げ返す。ヤマトのボールはどこから投げられても丈の元へ綺麗に戻っていき、丈のボールを難なく取っていく。時々違った投げ方をしては、取り方を教えてもらい、取れたら一緒に喜んでくれる。そんなヤマトの優しさが心地よくて年上だということを忘れて無邪気に遊ぶ。こんなに外で遊んだのはいつぶりだろうか。兄さん達とたまに、こんな風に外で遊んだことを思い出す。
「飯食わねぇか?」
かれこれ何時間経っただろうか。丈のボールを取ったところでヤマトが声をかける。キャチボールに夢中で忘れていたが、確かにおなかがすいてきた。
「そうだね。ご飯食べようか・・・ごめん。夢中になってて忘れてた」
「それは俺も。丈が思いのほか上手いし、教えたらすぐ覚えてくれるから」
「それはヤマトの教え方が上手なだけだよ」
そう言って笑い合い、公園を後にする。少し歩いたところにあったハンバーガー店に入ってハンバーガーセットを頼む。
「ほんとにいいのか?一応持ってるんだけど」
「大丈夫だよ。おつり返す時にバレちゃうしね」
丈はハンバーガーにかぶりついて、久しぶりのジャンキーな味を堪能する。それを横目にヤマトはポテトを食べる。
「この後どうしようか・・・」
夏の昼過ぎは地獄と化する。照り付ける太陽が猛威を振るう中、とても外で遊べる気がしない。とはいえどこか室内で遊ぶほどの持ち合わせもない。
「じゃあさ、俺んち来いよ」
「えっ、大丈夫なのかい?」
「別に構わねぇよ。昼間は親父いないと思うし。こんな中で遊ぶよりはいいだろ?」
「大丈夫なら・・・そうしようかな」
「決まりだな」
そうと決まったら早く行こう、とハンバーガーを食べる2人。昔、電車賃を全て叩いてみんなでハンバーガーを食べたことを思い出し、そこから芋づるのように思い出話に花が咲く。あいつら元気かなぁ、大丈夫だとおもうけどね、そんなことを話し、やってくる悲しみをジュースと一緒に飲み込んでハンバーガー店から出る。
「おじゃまします」
「ただいま。って誰もいねぇな、やっぱ」
やや散らかっている気がしたが、男2人で暮らしていると言えばこんなものだろう。ヤマトはクーラーの電源を入れて机のものを適当に隅にどかして冷蔵庫から麦茶を取り出す。どうしたらいいのかわからず突っ立っている丈に座れよ、と麦茶を差し出した。
「そんな珍しいか?」
「いや・・・色々あるなぁって思ってさ」
「親父が仕事で使ったり、貰ったものを適当においてるからな」
ヤマトはグイッと麦茶を飲み干すと、ちょっと待ってろ、と言って奥の部屋へ行く。しばらくして色んなボードゲームを抱えてやってきた。
「そんなに持ってたの・・・!?」
「親父がもらってきたり、元々持ってたりしたやつとかあるんだけど、親父は仕事で忙しいしこうやって遊ぶこともなくてずっと眠ってたやつ。遊ぶなら今だろ」
「二人でも大丈夫かな・・・」
「うーん・・・これならどうだ?」
そう言って取り出したのはジェンガだ。交互に積み上げた木を抜いて上に積んでいき、先に倒してしまった方が負けるバランスゲームだ。もちろん2人ともやったことはない。
「いいね、楽しそう」
「決まりだな」
木を積み上げ、順番を決めて抜いていく。手先が器用なヤマトがあっさりと勝ってしまうかと思ったが、慎重にやっているうちにコツに気づいた丈が案外強く、とても白熱した。敵だというのに難しいところを引き抜いた時は一緒に喜んだり、「こっちから抜いたほうがいいんじゃないか?」なんてアドバイスをしたりしていくうちに、いかにジェンガを倒さずに続けていけるかという協力ゲームになっていた。最後には丈が倒してしまったが、2人して悲しんではゲームの方向性が違うことに気づいて笑い合った。
次はこのゲームをしよう。といっては対戦ゲームは協力ゲームに変わっていく。流石にトランプばかりは対戦になったが、それもそれで楽しかった。
「「・・・・完成だ」」
2人は目の前に高く積まれたトランプタワーを見上げる。緊張が解け、汗が流れる。顔を見合わせると手を合わせて声を上げる。が、少し揺れるトランプタワーにまた緊張が走り息を止める。崩れないことを確認してから胸をなでおろすと静かに笑った。
「できるって思ってなかった・・・」
「俺も・・・テレビの中だけだと思ってた」
そうだ、とヤマトは部屋を漁ってをデジタルカメラを取り出した。
「写真撮るの?」
「記念だからな」
パシリ、と音を立ててシャッターを切る。一枚だけかと思ってたが、ヤマトは丈の肩を組み、カメラを裏返してシャッターを切った。
「これって見えてるの・・・?」
「わかんねぇな・・・けどまぁ、大丈夫だろ」
ふと時計を見ると、もう午後5時だった。丈はそろそろ帰らないといけない。
「これ、親父に頼んで写真にしてもらうから」
「ありがとう・・・あっという間だったね」
「そうだな・・・ここまで盛り上がるとは思ってなかった」
「トランプタワーどうするの?」
「んー・・・・もったいないから残しとく」
2人で初めて作ったから、名残惜しいのだろう。ヤマトの家には父親しか入らないし、残しておけるのだろう。いつまで残るかはわからないが。
「今日はありがとな。急に呼んだのに」
「ううん。楽しかったし、僕の方こそありがとう」
ヤマトはこれからご飯を作らないといけないため、玄関で見送ることにした。申し訳なさそうにしていたが、こればっかりは仕方ない。空の青は赤く染まって、昼間の熱気も収まっていた。
「じゃあ、僕は帰るね」
「あのさ」
バイバイ、といいかけた丈を遮る。夕焼けがヤマトを赤く染める。そのせいか、顔がいつもより赤く見えた。
「また、遊んでもいいか?」
そういって真っすぐ見つめるヤマトに、丈は優しく笑いかける。
「もちろん。僕もまた遊んでいいかな?」
「あっ、当たり前だろ。また誘うから、絶対」
「うん、わかった。また遊ぼう」
そう言って笑い合い、丈はヤマトのマンションを後にした。
風が吹き、空を仰ぐ。いつもと変わらない夕焼けの赤が、とても綺麗だった気がした。