それは、ただの興味本位だった。
夜中のネットサーフィンで見つけたのは、有名な都市伝説をまとめた簡素なサイト。並べられた話の内容は変に不安や恐怖を煽るようなものでは無く、簡潔に分かりやすくまとめられおり、悪く言えばつまらない記事だ。
5秒でブラウザバックしてしまいそうなサイトを気だるげな指がスクロールし続ける。うつらうつらとする視界にふと止まったのは「きさらぎ駅」
「きさらぎ駅、か……ふふ、懐かしいなぁ………」
薄暗い部屋の中で呟いた言葉は誰も答えることは無い。記事を開いて並べられた文字列をかいつまんで読み進めていくと、ポツポツと昔の記憶が思い出されていく。きさらぎ駅の存在をネットで見つけた時には、その嘘のような話を馬鹿正直に信じ、怖いもの見たさに家を抜け出して最終列車に乗った事がある。少し肌寒い9月の頃だった。寒さのせいか、恐怖のせいか、少しだけ震える体を我慢しながら待ったものの、結局、辿り着いたのははるか遠い駅。寒空の下に放り出され、近くの公園で夜を明かした後に歩いて帰った記憶がある。
決して楽しくもない、酷くつまらなくて、寂しい思い出だ。
嫌な思い出に眉を寄せながら、ふぅ、とため息をつく。ブラウザを閉じようとマウスポインターを動かした時だった。
「…………ん?」
カーソルを動かした一瞬。その一瞬に、マウスポインターの形が変わったのだ。半信半疑で先ほど辿った道筋をゆっくりと戻っていく。すると、真っ黒な背景の中でマウスポインターの形が三角から指へと変わる。
「なんだこれ……?」
ドラックしてみても空白が選択されるだけで何か文字があるわけではない。他のページを開いて探してみたが、それらしいリンクは見つからない。「きさらぎ駅」に関する記事にだけ、謎のリンクが貼られている。
普通なら見なかったことにしてブラウザを閉じてさっさと寝てしまうべきなのだが、心の奥底で湧き上がる好奇心が人差し指を動かした。
カチ、と音を立てて開いたページは大きなQRコードだけが写っていた。隠し文字があるのかと思って探してみるが見当たらない。少し考えた後、机の上に伏せて置いてあるスマホを手に取ってカメラを起動すると、静かにPC画面にかざす。これで何か悪質なリンクにアクセスしてしまい、情報漏洩でもしてしまったら笑いごとでは済まない。なんて薄っすら思いながらかざしたスマホにはやはり謎のリンクへ続くURLが表示された。
そのリンクを躊躇うことなくタップすると、表示されたのは真っ暗な画面に「15:32」という謎の数字の列だった。下二桁が単調に減っていくところから、何かのカウントダウンなのだろう。だが、このカウントダウンが何を指しているのか。そういった説明は全くない。
約15分後、何かが起こるのだろうか。モニターの右下にある時間を見ると23時54分。15分後となると、0時9分頃だろうか。
そんな時間になにがあるというのだろうか。だからといって、どこで何があるかなんて、カウントダウンが映し出される画面だけで判断することは出来ない。
「0時9分……?」
どこか聞き覚えのある時間帯に首をかしげながらPC画面を見る。真っ黒な背景に浮かび上がるQRコード。その前のページは。
その瞬間、脳内に雷鳴が響いた。マウスを乱暴に掴んで新しいタブを開くと、最寄り駅の終電時間を調べる。駅の中心部とは逆の方角へ向かう電車の時刻表を開いて、終電の時間を見る。00時9分。スマホが表示しているカウントダウンの時刻と一致した。
このカウントダウンは最寄り駅への終電までの時間を示している。そして、このカウントダウンのページに辿り着くために開いたページは「きさらぎ駅」
「…………まさか、ねぇ」
体を椅子に放り投げるように座って頭を抱える。こんな時間に何を馬鹿なことを考えているんだ。こんなブラクラのようなサイト、今の時代ならいくらでも作ることが出来る。こんな嘘話を馬鹿正直に信じて、夜中の駅に放り出されたのは一体誰だ?
ふ、と漏れ出た空気からクツクツと笑いが込み上げてくる。馬鹿だと分かっていながら、この先の事が気になっている自分がいるのだ。そうだ、どうせ戻ってこれなくても、あの時と同じように誰も困りはしない。
スマホの画面を見ると「10:40」と表示されている。自転車を使えばギリギリ間に合うだろう。右手で頭をぐしゃぐしゃにしながら立ち上がると、投げ捨てられた上着とショルダー、スマホを掴み、家を飛び出した。鍵は掛けなかった。
***
「はぁ……はぁ……はぁ……」
誰もいない深夜の電車の中で倒れこむように四人席に座り込んだ。自転車を使って駅まで走ったものの、駐輪場から改札を抜けて駅のホームまで向かうのに想定以上に時間が掛かったせいで、最終的には飛び込むような形で終電の電車に入り込むことが出来た。
もし誰かがいたら白い目で見られてしまうところだったが、深夜に中心部から離れた駅からさらに遠くの駅へ向かうような人は自分以外にいなかった。
息を整えながら座り直し、ズレたメガネを直しながら改めて外を眺める。真っ暗な闇の中にポツポツと白い点が見える。夜景が綺麗なのは社畜がいるからだとか、どっかの誰かが言ってた言葉をなんとなく思い出した。
スマホを見るとカウントダウンは「00:00」になったまま動かない。乾いた笑いが零れ落ちる。家を飛び出してきたせいでモバイルバッテリーといった充電機器を一切持ってきておらず、終電で放り出された時の事を考えてスマホを閉じた。斜め前にある扉の上の路線案内図によると、終電まで残り7駅だった。
窓を見ると自分が住んでいた街の姿は既に消えており、ポツポツと光っていた明かりも少しだけ少なくなったように思えた。終点までたどり着いた時には真っ暗な闇が広がっているような気がしてくる。
誰も人がいないのをいいことに、膝を抱えて壁にもたれかかった。静かに揺れる電車は心地よく、瞼がゆっくりと重たくなる。このまま終電で放り出されるぐらいなら、きさらぎ駅に連れて行ってくれればいいのに。そう思いながら、瞼がゆっくりと閉じていった。
***
目が覚めると森の中にいた。
正確に言うと森の中に囲まれた駅に停車している電車の中だった。電車の外の風景は昼間のように明るく、太陽に照らされた木々の緑が青々としていた。鳥の鳴き声が聞こえ、良く耳をすませば風が流れて木々が擦れる音がする。
誰もいない車内の路線案内図は真っ暗で何も表示しておらず、ただ静かにホームへと繋ぐ扉が開き、そこから落ち葉が風に運ばれて車内に入り込んでいる。
床に落ちたショルダーを手に持って立ち上がると、開かれた扉の前へ立つ。
目に映る景色が全て信じられなかった。ネットに残っていた話から想像していた場所とは正反対の景色だからだ。真っ暗で寂れたホーム。おどろおどろしい雰囲気を漂わせている駅から聞こえるのは、何かへと手招きする謎の声。その先にあるのは先の見えないトンネル。……自分が知っているきさらぎ駅とは全てが合っていない。
呆然としたままゆっくりと扉をくぐってホームへ立ったが、電車が発進する様子は無い。それどころか、ずっとここに留まっていたような雰囲気さえ漂わせる。辺りを見渡すと、天井から垂れ下がった看板を見つけた。ゆっくりとその看板を見ると、そこには「きさらぎ駅」とは書いてない。
「三部田……?」
聞いたことも聞いた事もない駅の名前だった。「みべた」と呼んだが本当の読み方が合っているのかさえも分からない。スマホで検索してみようと取り出すと「圏外」と表示されおり、深いため息が漏れる。駅の壁に貼っているポスターを見るとカフェやこども園といった施設のポスターや、イベントのポスターが並んでいる。ポスターは外に貼り出されているため、多少の劣化はあれどインクが色褪せていたり破れている様子は無いことから、最近貼られているのだろうか。
(誰かいる、のか?)
このまま無人駅に留まっていても何も分からないだろう。むしろ、「三部田」と呼ばれる謎の街に向かって誰かがいるなら、何かがわかるかもしれない。……まぁ、そもそもその街が本当に街として存在するのかも分からないのだが。
改札を通るためにスマホをかざしかけた手が止まる。よく見たらICを重ねる場所が無いどころか、使い終わった切符を入れる箱がぶら下がっているだけの改札だった。
「…………嘘じゃん」
はぁ、とため息が止まらない。冷静に考えればきさらぎ駅という未知な場所にIC対応の改札があるとは思えないのだが、残り15分しかない状況で切符を買う時間なんて残っているはずもなく、いつもの癖でスマホのIC決済で済ませてしまった。
この場合は無賃乗車になってしまうのだろうか。いや、異世界に辿り着いておいて無賃乗車を考えるのもおかしいのだが。
どうするべきかと、悩んだ末にポスターに貼られている「三部田公民館」に向かうことにした。
***
「……」
駅を出た先に広がっていたのは、普通の街並みだった。三部田と呼ばれる街は誰かがいる、なんてところの話ではなく、駅の前にある道路には車やバスが行き来しており、駅周辺もポツポツと人が行き来している様子だった。中心部の駅前ほど人が賑わっていなければ高いビルが乱立している様子は無く、少し田舎の方にある街並みの方が近いかもしれない。
想像以上にごく普通な街が広がっていて、思わず気が抜けてしまいそうになる。本当にここは異世界なのか?それとも、はるか遠い街まで運ばれてしまっただけなのか?
疑念が止まらないが、このまま立ち止まっていても変わらない。とりあえず街を探索して見るしかないだろう。通り過ぎていく人達の顔を横目で見て見るも、特に変な感じはせず変な居心地の悪さを感じる。駅周辺を見渡して地図を探すが見当たらず、声をかけようと思ったが声が小さかったのか、誰もが素通りしていった。こういう時には何度もトライすべきなのだろうが、普段外に出ない人間がそんな大きな声が出せる訳も、社交的にふるまえるはずもなく、三回無視されたところで心が痛み始め、諦めて歩き出した。
駅から続く大通りらしき道を歩いていく。車道と歩道を仕切る花壇には花や木々が植えられており、反対側にはコンビニや住宅地が並んでいる。コンビニに入れば何かわかるだろうか。ちょうどお腹もすいていたから何か買おうかと思ったが、そもそもこの街の食べ物は食べていいのだろうか?そうやって疑うのすら少し疲れるぐらいにこの街はあまりにも普通だった。
はぁ、とここに来て何度目かのため息をついた時、前方からやってきた人に気づかず、思わずふらついてしまった。
「あっ、すみませ……」
ギリギリで避けたおかげでぶつからなかったものの、引きこもりの体幹は突然の動きに耐えられることなく、ふらっと体が横へ動いてしまった。咄嗟に漏れ出た謝罪の声も小さすぎて相手には聞こえる事は無く、こちらを振り返ることなく先へと歩いていった。
こちらが悪かったのかもしれないが、多少なり振り向いてくれたらいいのに。なんて思いながらバランスを取ろうと足を一歩踏み出すと、足元でゴトッと何かが当たった感触と、何かが転がる音がした。
音に気づいて視線を向けると、10センチ程度の三角柱と四角の石が転がっていた。周囲の苔むした石と、四角の石の近くにある藁で編んだ紐からして、倒していい物ではないと直感で感じた。
全身に鳥肌が立った。異世界に辿り着いて、物を壊しておいて無事であるはずがない。何かが襲ってくるのだろうか。それとも内部から何かの呪いが出て、その場でもがき苦しんでしまうのだろうか。緊張と恐怖が入り混じり、汗が止まらない。
が、そのまま数秒ほど静止しても何も起こらなかった。
辺りを静かに見渡しながらそのまま静かにしゃがみこむと、静かに息を吐いた。ここまで来たら、もういっそのこと何かが起きて欲しいとさえ思ってしまう。きっと足で倒してしまったのは何かを祀っている祠だろう。となれば、普通なら異形な化け物に襲われるとか、真っ青な空が真っ赤に染まるとか、通り過ぎていく人が突然襲ってくるとか、そういった何かが起きるものだろう。……ゲームや漫画の影響を受けすぎ、と言われたらそこまでなのだが。
倒してしまった石を拾って元の形に戻す。とはいえ祠がここにあった事すら知らなかったので予想でしかないのだが、そのままにしておくのに比べれば少しは罪が軽くなったような気がした。
「はぁ、びっくりし」
た。と言いかけて、手に付いた埃を払おうとした時だった。ぬちゃ、と柔らかく、冷たい感触が手に伝わる。異様な感触に手元を見ると、半透明な黄緑色のスライムのようなものが両手に纏わりついていた。
「うわぁっ!?」
心臓がドクン、と跳ねる感覚と共に手を勢いよく離すが、スライム状の何かは手から落ちるどころか。餅のように勢いよく伸びて離れない。祠を倒した呪いなのだろうか。恐怖で心臓が跳ね上がり、呼吸が早くなって息苦しい。それでも離れる事がないスライム状の何かが、まるで自らの意思を持ったようにうねうねと動き出して顔のようなシルエットが浮かび上がると、緑色の大きな丸い瞳のようなものと目が合ってしまう。
「……みべみべ様?」
名前を呼ぶと、みべみべ様は小さな声で「みべぇ」と鳴き、手のひらからスルスルと落ちていった。足元にあるみべみべ様の祠が少し歪んでいる事に気づいて、安定するように少しだけ動かした。
「また壊されたんですか?もう、誰が壊してるんだか……。みべみべ様も気を付けてくださいね」
手に付いた埃を払いながら声をかけるとみべみべ様は同じように「みべぇ」と鳴いて祠の中に消えていった。たまにこうやって祠が壊れる度に、自分で直すことが出来ないみべみべ様は三部田の住人を呼んで直してもらうらしい。以前バイトで一緒になった人から話だけは聞いたことがあるが、まさか自分がその番になるとは思わなった。
「……あ、やば。バイト遅れる」
久しぶりに外に出たせいで時間感覚がうまく掴めておらず、家をギリギリに出ていたのを忘れていた。よりにもよって急いでる相手を呼ぶなんて、みべみべ様はいじわるだなぁ。なんて思いながら三部田モールへと向かう。バイト先には遅れた理由で「みべみべ様に絡まれた」って言えば許してくれそうな気もすれば、話題の一つにでもなりそうなものだが、だからと言ってのんびり向かっていい理由にはならない。
(……それにしても、誰が祠なんか壊してるんだ?)
ふと疑問に思って考えてみても具体的な原因は浮かぶことは無く、むしろ道中で見かけた知り合いに挨拶をした時にはもう忘れてしまっていた。