もうすぐやってくるバレンタインデーに向けて、ショッピングモール内では有名店のチョコが集結した特設コーナーが設けられていた。そのコーナーの近くを学校帰りに通りかかったヤマトは、綺麗に飾り付けられている様々なチョコレートを見ながら、もうそんな時期だったのか、とぼんやりと思った。
ヤマトはこの時期になると、色んな人からバレンタインチョコを貰う事が多い。いつも食べ切るのが大変であり、お返しの事などと考えると、ヤマトにとってはありがたいと思いつつもそこまで気分が上がらないイベントでもあった。
今年も色んなチョコを貰うのだろうか、と思いながら綺麗に陳列されたチョコレートや、それを楽しそうに選んでいる人達を横目に家に帰ろうと踏み出した足がふと止まる。
少し奥の方にあるブースでチョコをジッと見つめている丈の姿が目に入った。
目を数回瞬きした後によく目を凝らしてみるが、高い身長に肩まで伸びた紺色の髪、隙間から見え隠れしている細いフレームのメガネ、そしてブラウンのコートを着ている姿はどこからどう見ても丈だった。
まさかこんな場所で遭遇するとは思わず、声をかけていいものか躊躇っていた時、少し俯いてチョコを見ていた丈の頭が上がる。ヤマトは心臓がドクン、と鳴るのと同時に、その場から弾き出されたように歩き出してしまった。
あの場で見つかってしまおうが、話しかけようが構わなかったはずなのに、何故か反射的に歩き出してしまったヤマトの頭は少々混乱していた。なんだか友人の見てはいけないようなものを見てしまったような、そんな複雑な気持ちになっていた。
今思えば、丈がバレンタインチョコを選んでいるように見えて、実はただ興味本位でチョコを見ていただけという事も十分にあり得る。だが、丈が誰かに贈るために選んでいる可能性もゼロではない。
じゃあ、誰に?
ヤマトが最初に思いついたのは友人だった。友チョコみたいなものであれば渡す可能性は充分に有り得るだろう。だが、友人に渡すのであればわざわざバレンタインチョコ、といった少し高級なものを送るよりはどこにでも売ってあるようなお菓子や、大容量のお菓子を分け合った方が値段が安く済むはずだ。だが、先程丈が見ていたであろうチョコは、そういったものとは真反対の一つ一つ丁寧に作られたチョコレートが数個だけ入って、綺麗に梱包されている「贈り物」としてのチョコレートだった。
だとすれば家族だろうか。とも思ったが、やはり複数人で食べるならもう少し大きなものを一つ買って共有した方が良いはずだ。家族一人一人に買ったとすれば中学生からすればかなり痛い出費になるような気がしてあまり現実味がない。
だとすれば、残りは。
(好きな人……とか?)
バレンタインと聞けば「女性が好きな男性にチョコレートを送る」というものが一般的だが、最近は逆に男性が女性へチョコレートを送る事もある、という話をどこかで聞いたことがある。友人でも家族でもない、となれば、ヤマトが思い当たるのがそれぐらいしか無かった。
丈に好きな人がいる。
別に中学生ともなれば誰かを好きになることは珍しいことでは無い。実際にヤマトの周りでも誰かが誰かを好きで、告白したとか振られたとか、恋人になったとか別れたとか、そんな色恋沙汰を聞いた事もあり、実際に自分も告白された事はある。
何ら珍しいことでは無いのに、心の中のざわつきがどこか消えない。勉強一筋で色恋沙汰に無縁そうに見えた丈も、実は人知れず誰かに恋をしていた事に驚きを感じているのかもしれない。
(丈に好きな人、なぁ)
納得出来るようで納得できないような、心のどこかが少しだけ重たいような、そんな気持ちの正体を見つけられないまま、ヤマトは帰路に着いた。
***
『今日の夕方、空いてるかな。』
そう送られたメッセージを見つめながら、ヤマトはマンション前の広場で静かに佇んでいた。
そのメッセージは昼頃、突然ヤマトの携帯に丈から送られたものだった。丈がわざわざメッセージを送ってくるのも珍しく、その時に一緒にいた太一と光子郎も目を丸くしていた。「お前ら二人で何かコソコソしてんのか?」と何故か疑われたが、もちろんヤマトには思い当たる節は一切なかった。
『空いてるけど、どうしたんだ?』と返信すると、返ってきたのはヤマトの家のアパートの前で待ってて欲しい。というものだけだった。
二月の空は夕方とはいえかなり冷え込む。携帯に映し出された時間を見る限り、もうすぐ丈はここへやってくるだろう。携帯をコートのポケットに入れてふと顔を上げると、遠くの方から駆け足でこちらに向かってくる影が見えた。丈だ。
丈の影に向かって手を振ると、丈は片手を大きく振りながらヤマトの元へやってきた。
「丈」
「はぁ、はぁ。ごめん、ヤマト。遅くなっちゃった」
走ってきて少し息が上がった丈が困ったように笑った。
「別に構わねぇけど……用事って?」
「用事ってほどじゃないんだけど、これ」
そう言って丈はヤマトに小さな紙袋を渡す。藍色の紙袋の中には同じ色の箱が入っており、筆記体で何かが書かれている。少しだけ高級感のある袋にヤマトは首を傾げる。
「……なんだ? これ」
「中身は家に帰って開けてみて欲しいかな。じゃ」
さっきやってきたばかりなのに、踵を返して帰ろうとする丈をヤマトは思わず止める。
「じゃ、っておい。用事ってこれだけ?」
「うん」
ヤマトの問いに丈は笑って頷く。
「だったら別に、今日じゃなくても……」
「ううん。今日じゃなきゃダメなんだ」
丈はそうはっきりと言うと、「またね」と言ってヤマトが引き止める間もなく帰ってしまった。
今日じゃなきゃダメ。そう言われて渡された紙袋を持って、ヤマトはマンションへと戻る。ゆっくりと階段を昇りながら、渡された紙袋の中に入ってる箱を取り出した。藍色の少しザラザラとした質感のある箱に金色に光る文字でなにかのブランドであろう文字が印刷されている。裏面を見ると成分表が貼られており、そこにははっきりと「チョコレート」と書かれていた。
チョコレート。その文字にヤマトの足は止まる。
今日じゃなきゃダメなんだ。
その意味を知ったヤマトの心臓は徐々に早くなる。どこかぎこちない丈の視線。紙袋を渡して足早に去っていく間、どこかほんのりと赤みを帯びていた頬。そして、あの時見た真剣な表情でチョコレートを選んでいる丈の姿。少しずつ感じていた違和感が「そんなわけが無い」というヤマトの気持ちを否定するように思い出されていく。
「……まじか……」
甘いチョコレートに包まれた友人からの気持ちで早くなる心臓に、戸惑い以外の感情があることをヤマトが知るのはもう少し後の事だった。