小学生にとって待ちに待った夏休みも風のように過ぎ去り、夏の暑さが少しだけ残る9月。
学校が終わった丈と隆一は一緒に歩道を歩いていた。
「それでな、パスを出したところを俺がカットしてやったら相手びっくりしてさ!」
「あのカットは誰でもびっくりするよ。突然出てきたんだから」
「でもファールじゃないだろ?だからそのまま前に進んでゴール決めてやったんだよ」
「あれは凄かったね。僕、別コートで見てたけど流石隆一くんだなぁって」
「あっ!!またくん付けてる」
「えっ、あ、りゅ、隆一・・・」
「そ!!」
戸惑いながらも呼び捨てで呼ぶ丈に隆一はニカッと笑った。
丈と隆一が知り合ったのは夏休み明けのテストが返却された日。
夏休みの全てを遊びに費やした隆一のボロボロのテストに対して、ほぼ満点を取っていた丈に
「勉強教えて!」と頼んでから、丈の塾がない日に勉強を教えてもらうようになった。
あまりにも唐突な誘いに最初は戸惑った丈も、引き受けてからは隆一と一緒に過ごすことが多くなった。
だが、やはり日が浅いので若干の壁を感じている。
実は、いつも1人で過ごして誰かと関わりを持とうとはしていなかった丈をを隆一は密かに気にしていた。
隆一が話しかけても軽く流されて深く踏み込めずにいたのだが、テストの事をきっかけに勇気を出して話しかけたのだ。
今までは拒否されていたので半分諦めていたが、丈がすんなりと受け入れてくれたのが隆一にとっては何か取っ掛りが取れたようで嬉しかった。
今こうして一緒に帰れているだけで十分なのだが、どうしても深く求めてしまうのは隆一の悪い癖だった。
「次は丈もやってみろよ!絶対かっこいいぜ」
「僕はあんな事できないよ。隆一く・・・隆一みたいに運動神経ないから」
「運動神経なくても大丈夫だっ・・・あれ?」
隆一が目線をふとずらした時、車道の近くに黒い猫を見つける。車が行き交う車道の向こう側を見ると、もう1匹灰色の猫がいた。黒い猫は車道の前で動き回っては反対側を見つめていた。
まさか。隆一の悪い予感が過る前に黒い猫は車道を飛び出した。
危ない、そう思った予想が的中したかのようにトラックが突進してくる。車高の高いトラックではあんなに小さな猫は見えてない。
轢かれる。
目を見開いた隆一に見えたものは、さっきまで隣にいたはずの丈が猫に手を伸ばしているところだった。
けたたましくクラクションが鳴り響きトラックが急停止する。残響が脳で響き渡り、隆一はその場に立ち尽くした。
「———丈!」
我に返って走り出すと車道に丈の体がうつぶせの状態で投げ出されていた。血の気が一気に引き、持っていた手提げが手から滑り降ちる。
まさか、そんなはずは。恐怖が隆一を包みこんでは涙がこぼれそうになった時。
「ッ・・・いてて・・・」
「!?」
もぞり、と丈の体が動いて起き上がる。
腕には先ほど飛び出した黒い猫がいた。丈は抱きしめている腕を緩めて猫を逃がすと、猫は一度丈の方を見ては一目散に反対側へ走っていった。
無事にたどり着けたことを見届けた丈は安心したように笑うが、トラックの運転手が駆け寄ってきたのに気づいて慌てて頭を下げる。
運転手も丈を心配して病院に行こうと促すが
「大丈夫ですから!それより、すみませんでした!」と繰り返していた。
話し合いが終わり、服の袖を叩いて戻ってくる丈の顔はいつもと変わらない穏やかな顔だった。
「ッ。なにやってんだよ!!」
平然とした顔を浮かべる丈に腹が立ったのか、隆一は思わず大きな声で怒鳴りつける。
丈は隆一の名前を呼ぼうと開いた口を閉じ、ビクリと肩を揺らす。
「ご、ごめん」
「もうちょっとで死ぬところだったんだぞ!?なんであんなこと・・・!」
「・・・運転手は猫に気づかなくても、僕が飛び出せば気づくかなって・・・」
「もし気づいても、あそこでトラックが止まらなかったらお前も猫も死ぬんだぞ!?」
「ッ、ごめん、なさい」
我を忘れて怒鳴りつけていた隆一がしまった、と気づいた時には、丈は顔を歪ませ目を伏せていた。
眼鏡のフレームに小さな傷が入り、脱力した腕や膝は擦り傷で赤くなっていた。
「・・・傷の手当しないと。学校に戻って」
「ううん。自分で持ってるから大丈夫。ありがとう」
「・・・そう」
傷口を触らぬように丈の腕を握って引っ張るが、笑いかける丈の顔を見ては滑り落ちていく。
落とした手提げを拾って2人で公園に向かう間、会話はないまま重苦しい空気が流れた。
公園のベンチに座り、丈はランドセルから小さなポーチを取り出す。中から消毒液、ガーゼ、絆創膏を取り出すと慣れた手つきで消毒をしていく。
「俺も手伝う」
消毒液に触れた傷口が痛み時折顔を歪める丈を心配し、隆一も絆創膏をもって消毒が終わった傷に丁寧に貼っていく。
「・・・ごめん。さっき、あんなに怒鳴って」
「ううん。僕もごめんね。・・・危ないよね。あんな事したら」
「丈も、あんな大胆なことするんだな!ちょっと、いや結構びっくりしちゃった。でも、もうあんなことすんなよ」
「うん。僕もびっくりしてる」
「えっ?」
「僕も、あんなことするんだね」
隆一が驚いて丈の顔を見る。丈は「変だよね」と茶化すように笑った。
まるで他人事のように。
その笑顔が妙に恐ろしく感じた隆一は、ただ目を逸らして笑うしかなかった。