三連休の土曜日、あらゆる用事を投げ出して映画「8番出口」を見に行った。
原作ゲームをプレイしてはいないものの、ゲーム実況で全ルートを見ており、次回作である「8番のりば」もゲーム実況で見ていた。なので、8番出口がどんなゲームか、どんな異変があるのかをある程度知っている上での映画だったが、正直見る前はホラー映画、というかホラー自体が苦手だったので当日の私は静かに震えていた。
これは決して異変とかではなく、私の中でホラーの許容範囲があるのだが……。今回のレポには一切関係ないので省いていく。
出来れば遠くの端っこの方で見たいな~。という淡い願望を打ち砕くように、席を取る時には最前から二列以降はほぼ満席。仕方なく最前から二列目のど真ん中を取った。ホラーダメなのに。
席についてからスクリーンを見たが、もう近すぎて画面が湾曲してる。こんな距離感でホラー映画なんか見たら最悪気絶するんじゃないか?と思いながら、待ち時間にポップコーンを貪り、開演を待っていた。
結論から言います。マジで最高の映画でした。
最高過ぎて翌週の平日に一人で見に行った。マジで面白い。
ホラーゲームが題材という事もあり、しっかりとホラー描写はあった。むしろゲームよりもキツイ描写の方が多かったかもしれない。だが、そんな描写への苦手意識を上回る程の構成、ストーリー、演出、音。全てが良かった。恐怖でドキドキしながら見始めていたはずなのに、いつしか画面に噛り付くように見ていた自分がいた。
まず、音やカメラワーク、演出による状況や心情の表現が上手い。上手すぎる。
映画の冒頭、主人公である二宮和也さんの一人称視点から始まる。満員電車の中、イヤホンでボレロを聞いているが、イヤホン越しに泣き叫ぶ赤ん坊の声が聞こえてくる。声が聞こえる方に視線を向けると、赤ん坊を抱いた母親が必死に宥めている姿が映る。そこに、向かい側に立っているサラリーマンが泣き声に耐えられず大声を上げて母親にキレ出す。周囲の冷たい視線。なのに誰も助ける人はいない。主人公もしばらく見つめていたものの、知らないふりをしてイヤホンをする。横から聞こえてくる泣き声と怒号を搔き消すように流れるボレロ……。
もう、ここまでの演出が本当に良くて。赤ん坊の泣き声やサラリーマンの怒号が嫌な音量、音域で聞こえてくるし、それらを搔き消すボレロとの重なり合いが上手すぎる。そして、一人称だからこそ伝わる周囲の冷ややかだが、止めもしない空気。ここら辺の演出が絶妙に「嫌」だった。(褒め言葉)
こんな感じで、この映画は最初から最後まで音による演出が素晴らしい。嫌な音は全て嫌な風に聞こえ、嫌なものとして映る。その不気味さ・気持ち悪さが絶妙に良い。
そして、カメラワークもすごく良い。一人称から三人称へと切り替わる滑らかさ。そして物語の主軸が切り替わる滑らかさが尋常じゃなく綺麗だった。下手にブチブチと切るのではなく、カメラを止めないまま場面が切り替わっていく。
また、「異変を見つける」という主軸のルールがあるからこそ、地下通路で起きている異変は必ず画面内に収めている。至極当たり前の事なのだが、実際に映画で見ると「そのカメラワークでよく映せたな……」と思ってしまうほどに巧妙。
なので、いわゆる「志村、後ろ後ろ―!」状態が割とよく起きる。そのせいか近くの席にいた女子中学生らしき子が「そこ違うよニノ!後ろ見て!」「異変だってば!」と叫ぶ声が聞こえてきた。(※上映中は静かにしましょう)
だが、そう叫びたくなるのも正直分かる。主人公が見ていないだけで、後ろの方でかなり大きな異変が起きている事もあれば、異変が起きてすぐ引き返さずに巻き込まれてしまう事が多い。
これがゲームの中であれば「異変だ!」って気づいて引き返すだろう。だが、実際に目の前で異変が起きて、すぐ引き返せるだろうか?ドアノブの位置がおかしい。電光掲示板の表記がおかしい。ぐらいなら引き返せるだろう。
急に元恋人から電話がかかってきたら?ロッカーから赤ん坊の泣き声が聞こえてきたら?今までずっと通り過ぎていたはずの”何か”が話しかけてきたら?津波が押し寄せてきたら?
頭の中で「おかしい」と思っていてもすぐに動き出せるほど人間は上手く出来てはいない。そういったもどかしさがリアリティを生んでいる。私はこの演出がめちゃくちゃ好きだ。
ちなみに、異変のなかで私が一番好きなものは「元カノから電話がかかってくる異変」だ。あれはカメラワークと演出、話の構成が上手すぎて鳥肌が立った。主人公が紆余曲折しながらも5番出口にたどり着いたところで「そろそろリセットされるんだろうな…」と思っていたが、まさかリセットする異変が電話って。この時、彼女の横顔が映し出されるのだが、ずっとぼやけていた背景と赤ん坊の泣き声で病院内だと思ってしまう。だが、引き返さず進んでしまった主人公の前に映る「0番出口」の文字と共に、鮮明になって見えたのは、飽きる程見ていた地下通路のタイル。この時の絶望感と、主人公の背後にいる彼女らしき「何か」の不気味さが半端なさすぎる。普通にホラー展開なのにこの描写のうまさに思わずニヤついてしまった。
そうして絶望した主人公に追い打ちをかけるように現れた次の怪異は「全てが黄色に染められた地下通路」。人の心が無い。電話から聞こえるまやかしに騙された主人公を嘲笑っているようにも見えるし、非情な現実だと突きつけているようにも見える。黄色い空間で暴れ、叫び、嘔吐してしまう主人公。この嘔吐描写がまぁ~~~気持ち悪くて。ジャニーズを退所された二宮和也さんはもうゲロも吐いちゃうんだ……と驚きましたし、これに目を逸らしてはいけないとも思いました。
で!この後!カメラが切り替わらないんです。主人公がゲロを吐き、叫び、のたうち回ってもカメラは静かその姿を映し続けます。現実は変わらない。それでも彼は進まないといけない。それをただ映すだけで伝えているのが本当に凄い。
次に、話の構成が上手い。
元々原作ゲームにはストーリーというものは存在しない。だから、今回映画になったのもどうやって?という気持ちがデカかった。だがこれがまぁ上手い。上手すぎる。
彼らにとっては地下通路で起きている全ての事は異変だ。想定外であり、イレギュラーだ。だが、それは日々過ごしている時と変わらない。大なり小なり何かしらの問題が起きて、それに対して引き返す=逃げることが果たして正解なのだろうか。
繰り返される異変の中、彼女は何度も「どうする?」と主人公に問いかけるが、その問いかけは地下通路の中では異変なので、主人公は引き返している。だが、彼が地下通路に訪れる前から、彼はずっと異変から目を背け続けていた。満員電車の中で赤ん坊の泣き声から目を背け、子供が出来たという大事な話をしている途中でスマホを落として彼女の言葉が聞こえてなくても「大丈夫」と受け流していた。きっと、あのまま主人公が様々な事から目を背け続けていた結末の先にいたのが、あの男の子だと思っている。
もしもの世界からやってきた男の子は、地下通路の中を彷徨いながらお母さんを探している。だが、地下通路に出てくるお母さん(元彼女)は異変で、その度にリセットされてしまう。そんなループを助けられるのはお父さんである主人公だったのだろう。
そして、津波の中で見えた回想。あれは主人公と男の子を繋ぐエピソードであり、グッドエンディングであり、二人が辿り着くべき「未来」なのだろう。
……だろう、しか言えないのも、この映画には確定として説明されている事が無い。断片的に映される映像から感じ取るしかないので、正直自信はない。
津波の異変が終わり、ガラクタの中にいた男の子は自身が迷い込んだ意味と主人公の正体を知り、一人で8番出口へと向かっていく。その後、主人公も8番出口へとたどり着き、改札を抜けて彼女の元へと向かう。
満員電車の中、イヤホンの外から微かに聞こえる赤ん坊の泣き声。耐えきれなくなったサラリーマンが怒り、怒鳴り声を上げる。あの時と同じ光景。だが、主人公は冒頭のように目を反らすのではなく、赤ちゃんの方へと歩いていった。
この瞬間に高らかと鳴り響くボレロ。この時、ようやく主人公は8番出口のループから抜け出たのだろう。8番出口は地下通路から始まったのではなく、冒頭の満員電車から始まっていたのだと私は思った。
この映画は8番出口というシンプルなゲームの枠を崩すことなく、メッセージ性を持たせているところが本当に素晴らしい。ゲームの中になかった異変も、おじさんの視点や女子高生といった新しい要素も、彼らのバックグラウンドを語る上では必須でありながら邪魔になっていない。
というか演者が全員上手すぎる。いくら素敵な演出を施していようと、演者が上手く演じないとそれは異変にならないし、伝えたいものも伝わらない。だが逆に、演者だけが上手くても成立がしない。この映画は演者と演出、映画に関わる全てが上手く嚙み合わさった事で生まれたものだと思った。特に異変側であったおじさん(河内大和さん)と女子高生(花瀬琴音さん)の演技がすごい。河内さんの演技は以前から「3Dだと勘違いした」と声が出る程絶賛されていたが、個人的には花瀬さんもかなり不気味で好き。
それと、これは二回目を見た時に気づいたのだが、冒頭で主人公が見ているSNSに異変の要素(バカンティマウス、無数に増える電灯、津波)に関する投稿が出てきており、「おぉ~」と感心したのだが、一つだけおかしな部分がある。
無数に増える電灯。これがよく考えるとおかしいのだ。
というのも、主人公が異変を覚えるために写真を撮っていたシーンを思い出してほしい。様々な要素を写真に撮って見比べるつもりだったが、その写真は先に進むと全て黄色くバグったような状態になってしまい、結局確認が出来なくなってしまったのだ。
恐らく8番出口という空間自体を写真として残せない、いわゆる異変側からの「チート対策」なのかもしれないが、だとすれば、あの時SNSに投稿されていた写真はどうして撮ったままの写真でSNSへ投稿できているのだろうか。そしてあの投稿は誰によって投稿されたものなのだろうか。あの投稿から既に「異変」だったのか。それとも8番出口に迷い込んだ誰かからの「HELP」だったのか……。
こういった説明できない異変を添えていくのも好き。恐らく1回では理解できなかった人がもう一度見ることでより深く理解していくだけではなく、気づかなかった異変に気付いていくのだろう。
そうして繰り返し見たり考察していくことで、私達も8番出口の中へと迷い込んでいるのかもしれない。
………ところで皆さん、HIKAKINさんがどこにいたか分かりました?
