のどかな昼下がりの中、思わず欠伸が漏れたのは誰だったか。
幻の楽園、ラクアを求めて長い冒険をしているルシアス、ギベオン、リスタルの三人が訪れた街は、人とポケモンがゆっくりと暮らしている街だった。近辺の森には凶暴なポケモンは生息しておらず、穏やかな気候、土地に恵まれており、都心部や観光地というほど賑わいは無いものの、外からやってきた人を忌み嫌う様子も無い。世界中を転々としている旅人には休息地としてちょうどいい街だった。
石レンガ造りの建物が並び、街の真ん中に流れる川では水ポケモンが泳いでる。街の中をポケモンが自由に行き来している様子や、パートナーと共に商いをしている様子にルシアスは自然と笑みが零れた。
その時、ドン、と何かがぶつかった衝動に足を止める。通路の邪魔にならないようにと一列に並び、ルシアスの前を歩いていたはずのギベオンも足を止め、その前にいたはずのリスタルでさえも足を止めていた。先頭を歩いていたリスタルを見ると、大きな帽子から覗いた横顔から何かを見つめている。視線の先を辿るように横を見ると、「写真館」という看板が掲げられた建物が立っていた。
「リスタル?」
ルシアスの声にリスタルがこちらを向く。その瞳は爛々と輝いていた。
「写真館だって! ルシアス、ギベオン、写真撮ってみようよ!」
「え?」
リスタルからの思わぬ提案にルシアスは目を見開き、ギベオンは眉を寄せた。そんな二人の手を掴んだリスタルは、写真館の前まで手を引いていく。ガラス越しに飾られた写真は老若男女、そしてポケモンを問わず仲睦まじい姿が切り取られ、綺麗な模様を象った額縁に飾られてる。どの写真に写っている人間もポケモンもとてもいい笑顔だった。
「ほら、すっごい綺麗に撮ってもらってる。私たちも旅の記録として撮ってみようよ!」
「記録、ねぇ」
綺麗に撮られた写真をどのように転写したのか気になって覗き込んでいたルシアスは一向に返事をしないギベオンに視線を向ける。ギベオンの眉は先ほどと変わらず寄せたまま、二人の顔を交互に見る。内心、あまり乗り気ではないが断る理由が特に出てこないのだろう。
「……私は」
「ギベオンも撮るよね!」
頑張って絞り出したギベオンの言葉をリスタルは遮ってニコニコと笑顔を向ける。遮ったのはわざとなのか分からないが、リスタルの眩しい笑顔にギベオンの顔はさらに険しくなっていった。
「だって、写真館って早々無いんだよ! 今まで行った街でも見かけたことないし。見かけたら一回は撮ってみたかったんだぁ」
「だから、私は遠慮するから二人で……」
「ダメだよ! 三人で撮らないと意味ないんだよ!」
完全にリスタルに押し負けているギベオンの姿が面白く、助けを求める視線を向けられても静かに無視をしていたルシアスの後ろでカラン、と小さな鐘の音と扉が開く音がする。振り返ると茶色のメガネをかけ、ひげを蓄えた腰の低い老人がドアから顔を覗かせていた。
「お客さん、かな?」
店前で騒いでいたのを咎められるかと思ったが、そんな思いとは裏腹に優しい声で問いかけられた。
「あー……えっと」
「はい! ここで写真、撮りたくて!」
一旦相談した方が良いかと思ったルシアスの言葉を押し切り、リスタルが元気よく返事をする。逃がさない、と握られた腕はルシアスだけではなくギベオンも同じだ。複雑な表情を浮かべるギベオンと目が合うと、ルシアスはもう諦めろ、と言うように小さく笑った。
***
室内は大きな白い壁と床がある空間と、様々な機械や道具が置かれている空間で分かれていた。大きな窓は全て白いカーテンで太陽の光が遮られ、柔らかな光が室内を包んでいる。老人は扉を閉めると三人を白い壁と床がある空間へ案内し、白い空間に向くように置かれた背の高い機材の位置を調整している。初めて訪れた写真館に三人が辺りを見渡していると、老人は小さく笑いかけた。
「こういうところは初めてかい?」
「はい。リスタル……彼女が知っていたぐらいで、俺たちは何も知らなくて」
「そうかい、それは嬉しいねぇ。あんたら、旅人だろ? ここは城下町みたいな栄えた街から離れた場所にあるから、あまり旅人が訪れなくてね……。訪れたとしても、写真なんて撮ろうとする人も少なくてね。……昔は自分で外に出て撮りに行ってたが、この歳になるとどうしても難しくてね」
そう言いながら老人は三本足で直立する何かを三人の前に置く。黒い布を取ると、縦に長い箱に丸いガラスのようなものが二つ付いている謎の機械が出てきた。ルシアスの掌と大きさが変わらないぐらい小さな機械だったが、あれがカメラというもので、おそらくカメラを使って写真を撮るのだろう。
老人は少し曲がった背中をさらに曲げ、覗き込むようにカメラを向ける。どうしたらいいのか分からずにリスタルを見るが、リスタルも分からなかったのか三人の目線が合った。
「ははっ、そんなに堅苦しくする必要は無いよ。視線はこっちを向いて。普通に、自然に。出来れば笑顔で。」
老人は両手の人差し指を頬に当て、にっこりと笑った。三人はお互いに目配せをしながら一列に並ぶと、カメラに視線を向ける。老人は再びカメラに視線を戻すと、小さなつまみを動かして何かを調整している。
「……ちょっと緊張するね」
リスタルが小さく呟いた。あんなに元気だった笑顔もややひきつってるように見える。
「あんなにノリノリだったじゃないか」
「今でもワクワクよ! でもいざ目の前にすると緊張するじゃない」
「ギベオンを見てみろよ。ずっと変わってないぞ」
そう言ってギベオンに視線を向けると、相変わらず小難しい顔と目が合う。そしてすぐに逸れた。
「……嫌だった?」
リスタルの声にギベオンは一瞬こちらを向くが、ゆっくりと視線を落とした。
「……別に嫌ではない。ただ、慣れない事をしているからどうすればいいのか分からないだけだ」
ルシアスはギベオンの顔を覗き込み、先ほどの老人と同じように両手の人差し指を頬に当てて笑った。
「笑えばいいんじゃないか?」
「……」
会話の中で笑う事はあっても、笑えと言われて笑う事が無いギベオンは、それが出来たら苦労しないのだ。と言わんばかりの目線でルシアスを睨む。まぁまぁ、と宥めるようにギベオンの背中を軽く叩いた時、準備が出来たのか老人が三人に声をかけた。
「準備はいいかな? 何枚か撮影するから失敗しても大丈夫さ。気楽にね」
老人はカメラを覗き込む。そしてカシャリ、と何かが閉じるような音が聞こえた。
「意外だな。ギベオンがこういう事、嫌がらないなんて」
何度かシャッターを切り、撮影を終えた老人がカメラを持って奥の方へと入っていった時、ルシアスぽつりと呟いた。
「私も、写真を撮りたかったけどギベオンが絶対嫌って言うかなーって思ってたのに、意外と嫌がらないから、ちょっと不思議だった」
二人に視線を向けられたギベオンは何か考え込むような表情をした後、ゆっくりと口を開いた
「私がここにいるのは、今まで冒険者や研究者が『記録』として残してくれたものがあるからだ。なのに、私が記録を残さないのは失礼だと思った。ただそれだけだ」
真面目で律儀なギベオンだからこその答えだった。冒険者である三人の中では唯一、研究者としての側面を持つ彼だからこそ、過去の貴重な文献や資料を誰よりも辿っている。いずれは彼の残した記録が、未来の冒険者や研究者の糧になる日が来るのかもしれない。
「……俺たちがここにいるのは、記録のおかげだけじゃないさ」
ルシアスは両手を広げ、二人の肩を抱き寄せる。目を丸くしてルシアスの顔を見る二人に、ルシアスは笑う。
「俺たちがあの時出会って、ここにいるのは、俺たちが選んだ道が交わったからさ。運命や奇跡とはまた違う、俺たちの想いが重なったんだ」
ルシアスの言葉と笑顔に釣られ、リスタルは笑みを零し、ギベオンの表情は柔らかくなる。三人がラクアを知り、目指すためには記録が必要不可欠ではある。だが、その記録を手に取って信じたのは三人の意思だ。ラクアなんておとぎ話に出てくるような場所を目指すなんて、と馬鹿にされてきた言葉を跳ね除けてこの道を選んだ。そして、今も歩き続けている。それは記録だけじゃない三人の、エクスプローラーズとしての道なのだ。
ふと、遠くからカシャリ、とカメラの音が聞こえる。音の方を見ると先ほどの老人がカメラを構えてシャッターを切っていた。
「あぁ、そのまま動かないで。真面目な写真も好きなんだが、私はそのままの君たちも残したくてね」
老人の言葉に少し驚きながらも、ルシアスは離れかけた二人の肩を抱き寄せる。より近くなった三人の顔を交互に見ては、少し感じたむず痒ささえもおかしくなり笑い合う。今まで撮ってきた写真の中で一番自然に笑えた笑顔だったような気がした。
***
数日後、写真館へ出来上がった写真を受け取りに向かった。「綺麗に撮れたよ」と老人に言われ、渡された写真はどれも綺麗に撮れていたが、写っている三人の表情に少しぎこちなさを感じる。最後の写真が一番自然体ではあるが、三人で肩を寄せあって撮っている姿は冒険者という威厳をあまり感じさせなかった。
「あんまり冒険者に見えないな」
「そう? 私は結構好きよ」
ルシアスのが持つ写真を覗き込んで嬉しそうに笑う。
「冒険者としての私達も必要かもしれないけど、私はこっちの方が仲間っていうか、友達っていうか。思い出として残ってて好きかな」
「思い出……」
「良いでしょ? こんなに難しい顔をしてるギベオンも、本当は笑う人だって残せるし」
リスタルはギベオンを少し茶化すように笑う。ギベオンの眉間に少し皺が寄るが、フッと小さな笑みを零す。
「そんなもの、残してどうする」
「将来、私達が思い出せるように残していくの。記録を残すだけじゃない。私たちの旅の記憶。素敵でしょ?」
リスタルは優しく写真を撫でた。将来、この旅を終えたその先の未来で、この写真を見ては今日のような日を思い出すのだろう。
「じゃあもっと思い出せるような、俺たちだけの記録を残さなきゃな」
そう言ってルシアスはギベオンに笑いかけると、ギベオンも穏やかな表情で「そうだな」と笑った。
ルシアスは写真を手記の最後の方に挟みこむ。これから続いていく旅路の中で三人が目にして感じた事が、三人の中で宝物となっていくようにと祈りながら。