最近、日が落ちるのが早くなってきた。
ふと見上げた空は真っ暗な夜が広がっている。季節の変わり目による寒暖差が激しく、日が落ちると昼間の比べて気温がぐっと低い。ゆりかもめに揺られて帰ってきたお台場は海が近いせいか、余計に肌寒さを感じた。改札を抜けた丈は手に持っていたジャケットを羽織った。
夜のお台場は商業施設や飲食店が多く、夜に歩いていても案外明るく賑やかな場所だ。その分、変な人と遭遇しやすい、と言われればそれまでなのだが、もう十数年と生きてきた街を思えば慣れてしまう。
こうして丈は毎日、朝一人で電車に乗って進学校、塾へと行き、夜のお台場へと一人で帰ってくる。
皆といたお台場小学校を卒業し、皆がお台場中学校へと進学する中、一人だけ中学受験をして進学校へと入学した。それは自分の未来のため、医者への道へ進むために丈自身が決断した事だ。その決断に間違いはなく、後悔は微塵もしていない。けれど、ほんの少しだけ、名残惜しさが胸に残っていた。
六年生の夏に参加したサマーキャンプ。そこから始まった、長くも短かった八人と八匹の不思議な冒険。それは丈を大きく変えた、かけがえのない宝物だ。あの日から出会った七人は、丈にとって初めての〝友達〟だ。受験や成績なんてしがらみが一切無い。お互いに競い合わなくてもいい。そんな関係を築ける相手が七人も出来た事が嬉しかった。
それと同時に、もっと早く出会っていたかった、と思った。
あの夏の日から丈が卒業をするまでの八ヶ月間。それはとても楽しく、有意義なものだった。自分の中で勉強以外に楽しいと思える事が出来たのが嬉しかった。もっと早く出会えていたら。もっと早く友達になれていたら。敷かれたレールの上を歩くしか無かったあの頃の自分を思う程、そんな身も蓋もない事を考えてしまっていた。
中学に進学してから久しく皆の姿を見ていない。自分が忙しいから、というのが分かっているが、どうしても壁を感じてしまって少し寂しい気持ちになる。
丈の気持ちに連動するように冷たい風が頬を撫でる。今日の夜は一段と冷えるのかもしれない。季節の変わり目だからか、寒暖差があるせいか、自然と心もネガティブな方へ向かっているのかもしれない。
早く帰って明日の準備をしようと、カバンを握り直して少し早く歩き始める。周りで賑やかな声が聞こえ、建物から漏れる光が余計にひとりぼっちだと浮き彫りにされているように思えた。
(……会いたいな)
誰にも見られる事もなく、唇をキュッと噛み締める。
その時、背後からドン、と押されたような衝撃が走り、思わず目を見開いた。
「ギャッ!?」
次に出たのは情けない声。前のめりになった体は足を踏み出してバランスを取った事でかろうじて倒れずに済んだ。突然の事でバクバクする心臓を握るように左胸に手を当てながら振り返ると、そこにはベースケースを背負った石田ヤマトが立っていた。
ヤマトは丈の顔を見るや否、驚いた顔を面白がるように笑い、「よっ」と短い挨拶を投げた。
「や、ヤマト……!?」
「久しぶり。今ちょうどバンドの練習が終わって1人で帰ってたんだけど、すげぇ見覚えのある後ろ姿を見つけてさ。……にしてもギャッ、てなんだよ。ギャッ、って」
さっきの情けない声を出した丈をヤマトは笑っているが、丈はただ呆然としていた。さっきまでの陰鬱とした気持ちがヤマトのひと押しで全てどこかへ消えてしまったような、そんな感覚だった。
会いたい。そう思って真っ直ぐに来てくれたのがヤマトだったなんて。
丈は思わず緩んだ頬を誤魔化すように「あのねぇ」と眉を吊り上げる。
「突然押されたら誰だってびっくりするだろう? もう……」
「悪いって。でも、そんな事言いながら、お前も嬉しいんだろ?」
そう言ってヤマトは丈を見透かしたような目で見つめる。どうやら、友達には全てお見通しのようだった。
丈は吊り上がった眉を下げ、降参したかのように笑った。
「あぁ……うん。そう。嬉しいよ。――久しぶり。元気だったかい?」
「おう」
丈の問いかけにヤマトは大きく頷いて笑った。そして二人はお互いの家にたどり着くまでの間、お互いの近況や他の六人の事の話をした。
こうやって友達と笑いながら会話をしたのはいつぶりだろうか。笑う度に感じた頬の痛みですら、丈は嬉しいと感じていた時間だった。
「それでさ……あ、俺こっちだ」
「あ、僕はこっち」
お互いの帰路への分かれ道にたどり着いてしまった二人は歩みを止めた。少し遠回りをしながらも歩いていたつもりだったが、楽しい時間はあっという間だった。これ以上、帰りが遅くなると明日の学校に影響が出てしまうだろう。丈は名残惜しさを感じながら、自分が行く先へ一歩歩き、振り返った。
「……じゃあ、ヤマト。今日はありがとう。バイバ」
「またな」
バイバイ。そう言いかけた丈の言葉をかき消す声に、丈は目を見開く。ヤマトが目を細めて笑うと、二人の間に風が流れていく。お互いに長く伸びた髪の毛が揺れ、月明かりに反射していく。
「また話そうぜ」
「……うん。またね」
そう言って丈が笑うと、ヤマトは満足したような顔を浮かべ、手を振って帰路へと歩いていく。丈も帰路へ向かって歩き出し、後ろを振り返った。その時、ヤマトも後ろを振り返ったのか、大きく手を振る姿が見えた。丈も少し背伸びをして大きく振る。
(また、か)
ヤマトの姿は角を曲がって消えた。一人残された丈も帰路へ向けて歩き出す。街から零れる光に、丈はもう寂しさを感じることは無かった。